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恵方巻と海苔とお茶の話(4)

海苔と言えば、
キャッチフレーズの「上から読んでも山本山。
下から読んでも山本山」の『山本山』が有名ですが、

『山本山』は、もともと茶を扱っていた企業で、
茶も海苔も湿気に弱い製品であることから
製品の湿度管理のノウハウを両者に応用できるので、
戦後、海苔産業に参入したそうです。

ちなみに、
山本山の創業は1690年、
初代の『山本嘉兵衛』が、京都府から上京し、
日本橋で和紙やお茶、茶器類等を扱う
「鍵屋」を開業したことに始まります。

ちなみに、『山本嘉兵衛』という名は、
歴代の当主に受け継がれているそうです。

4代目『山本嘉兵衛』の時に、
永谷園の創業者『永谷嘉男』の先祖『永谷宗円』と出会い、
大きく飛躍しました。

当時飲まれていた煎茶は、
日干しで乾かした茶色い黒茶で、
味も良くありませんでした。

1738年、『永谷宗円』は、15年かけて、
日本煎茶の基礎である「青製煎茶製法」を発明し、
お湯で茶葉を蒸した後に、
焙炉と呼ばれる茶葉を乾燥させるための箱の上で、
茶葉を手揉することにより、
茶色だったお茶の色を、美しい黄緑色に変え、
適度の渋み、苦みに、旨味、甘味に優れた、

高品質の煎茶を開発しました。

『永谷宗円』は、
新しく開発した煎茶の販路を求めて、

上京しましたが、

従来と全く違うこの煎茶の価値を、
評価してくれる茶商がいなく、

誰も相手にしてくれませんでした。

そして、最後に訪れたのが、
4代目『山本嘉兵衛』の所でした。

4代目『山本嘉兵衛』は、

『永谷宗円』の新しく開発した煎茶を一口飲むと、

その味に感動し、売れると確信しました。

そして、
4代目『山本嘉兵衛』は、
小判3枚(約20万円)で買い取り、
その後の購入の約束もしました。

4代目『山本嘉兵衛』は、
煎茶に「天下一」と名付けて売り出すと、
全国で圧倒的な人気を博し、
莫大な利益を挙げたそうです。

そして、山本家は、永谷家にお礼として、
毎年小判25両(約250万円)を、
1875年まで贈り続けたそうです。

1835年、
6代目『山本嘉兵衛』が、
宇治小倉郷の『木下吉左衛門』の所に、
製造に立ち会うために訪れた時、
製茶中の茶葉を露のように丸く焙ることを思いついて、
やってみたところ甘露のような味がしました。

これが、高級茶葉「玉露」が出来た瞬間でした。

ちなみに、
現在は、「玉露」は、棒状に焙っていますが、
これは明治初期に、
宇治の製茶業者の『辻利右衛門』が改良し、
その方法を広めていったたそうです。

ちなみに、煎茶も玉露も、
同じお茶の木からつくられています。

煎茶と玉露の違いは、その栽培方法です。

煎茶は、新芽から摘み取りまで日光に当てるそうです。
日光に当たって育った煎茶の茶葉は、
澄みとおった緑色をしています。

茶葉を日光に当てて栽培すると、
光合成によってアミノ酸の一種「テアニン」が、
「カテキン」に変化します。
「カテキン」は、渋みのもととなる成分なので、
煎茶は甘みと渋みの調和のとれた、
すっきりした味わいになるのです。

玉露は、被覆栽培と言われている方法で、つくられます。
摘み取る約20日前から、
ワラやヨシズなどで茶園を覆い、日光を遮るそうです。
茶葉は、深い緑色をしています。

日光を当てずに栽培すると、「カテキン」が増えないので、
旨みと深いコクのある味わいになるそうです。
また玉露は、独特の香り『覆い香』が特徴です。

ちなみに、
1週間程度、被覆栽培したものは、かぶせ茶と言うそうです。
かぶせ茶は、煎茶と玉露の中間の特徴を持つそうです。

徳川時代から、茶の輸送保存は、
茶つぼが使われていましたが、
『辻利右衛門』が、防湿と運搬・取扱いに優れた、
木の箱の内側にブリキをはりつけた缶櫃を発明し、
現在は、全国の茶商がこれを利用しているそうです。

ちなみに、山本山では、
1947年に、9代目『山本嘉兵衛』が、
海苔の販売を始めたそうです。

ちなみに、先祖が治めていた猫尾城に、
1406年に、『明』からお茶の種子を持ち帰ってきた、
出羽(現在の秋田県)出身の『栄林周瑞禅師(栄林周瑞)』が来て、
出来たのが、八女茶です。

詳しくは、動物病院HPにあります。
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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