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『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(5)

『春日局』は、『お振』という娘に、
男装させて、『徳川家光』の所に行かせました。

すると、 1637年、
将軍『徳川家光』が33歳の時、
最初の子『千代姫』が、産まれました。

しかし、『お振』は、すぐに死亡して、
男子を生むことが出来ませんでした。

ある時、
紫衣に包まれ少年のように清々しい
公家『六条有純』の娘が、

伊勢内宮社・慶光院17代院主となったので、
挨拶に来た時、

『徳川家光』は、見とれていたそうです。

そのため、
『春日局』は、16歳だった彼女を還俗させ、
名を『お万』としたそうです。

すると、 『徳川家光』は、とても気に入り、
寵愛して側室に迎え入れたそうです。

しかし、『お万』との間には、
子供が出来なかったそうです。

でも、『春日局』の死後、
『お万』は、大奥の総支配を任され、
88歳まで生きたそうです。

そして、『徳川家光』は、
『お万』をきっかけに、
女性も好きになったそうです。

その後、『春日局』が選んだ『お楽』が、
側室となりました。

『お楽(お蘭)(宝樹院)』の人生は、波乱万丈でした。

『お楽(お蘭)(宝樹院)』の実の父は、『青木利長』で、
旗本朝倉家に仕えていたそうです。

ところが、使い込みをして、追い出されたそうです。

その上、『青木利長』は、禁猟とされた鶴を撃ち、
江戸の料理屋に売ったことで死罪になり、

『青木利長』の死後、
家族全員が罪人として古河藩主永井家で、
奴卑とされていました。

その後、『青木利長』の妻は、
勤勉さを認められて女中となり、
娘の『お蘭』を連れて、
下総古河藩・藩士『七沢清宗』と再婚しますが、
まもなく武士を辞め、古着商となったそうです。

『春日局』は、
『徳川家光』の世継ぎ誕生の寺社に祈願した帰り、 
店先で遊んでいる幼い『お蘭』を見かけて、
『お万』に似た顔だったので、
『徳川家光』好みだと確信したそうです。

そして、『お蘭』の名を『お楽』と改めてから、
側室にした結果、
1641年、嫡男の第4代将軍『徳川家綱』が生まれました。

次に、
『お万』の雑用係に、京の八百屋の娘『お玉』がいました。

『お玉』は、幼い時に老僧から、
「この子は、竜を生む。」と言われたので、
チャンスを求めて、
京の公家出身の『お万』の方に、仕えていました。

『春日局』は、『お玉』を見て、
『徳川家光』が気に入ると考えました。

そして、予想通り、会わせると、気に入り、
側室となり、第5代将軍『徳川綱吉』が生まれました。

ちなみに、八百屋の娘『お玉』が、
第5代将軍『徳川綱吉』の生母となったことから、
「玉の輿」という言葉が生まれたそうです。
 
その後、『春日局』は、
『徳川家光』に何回か女性を紹介した結果
好みが分かっていたので、

正室『鷹司孝子』の
下女『お夏』が気に入ると考えました。

そして、予想通りに、気に入り、
三男『徳川綱重』を産みました。

その後も、『春日局』は、
『徳川家光』好みの顔をした女中『お保良』に会わせ、
第6代将軍『徳川家宣』が生まれました。

しかし、『徳川家光』は、
最後まで、正室『鷹司孝子』の事は、
嫌いで、避けていたそうです。

そして、
『徳川家光』が死去する際、
正室『鷹司孝子』に、形見分けとして与えられたのは、
約500万円と幾つかの道具類のみだったそうです。

そして、『徳川家光』は、正室『鷹司孝子』と、
自分の子供と養子縁組を、結ばせなかったため、

『徳川家光』の死後、将軍となった『徳川家綱』は、
『鷹司孝子』に懐いていたので、母親に準じる手厚い庇護と敬意を、
贈り続けていたにもかかわらず、

『鷹司孝子』が死去した際は、親子ではないという事で、
その喪に服することが、出来なかったそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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