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『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(4)

将軍は、後継ぎをつくるのも仕事だったので、

将軍『徳川家光』は、1623年の19歳で、
正室『鷹司孝子』と結婚しましたが、

結婚当初から、その仲は非常に険悪で、

実質的な夫婦生活は皆無で、
ほぼ軟禁生活を強いて、冷遇したそうです。

将軍『徳川家光』33歳の時まで、
子供が出来なかったそうです。

でも、
なかなか子供が出来なかったのは、
仲が悪いと言うだけではなく、理由がありました。

戦国時代、女性は不浄なので、
出陣の前には女性に触れるのは、
縁起が悪いのと言われていたので、

大名にも、男色が多かったそうで、
将軍『徳川家光』も、
女性に興味を示さず、男色だったそうです。

当時、風紀が乱れるという理由で、
歌舞伎は、男性のみで行われていました。

『徳川家光』は、化粧をして、
歌舞伎の真似事をしていたそうです。

『徳川家光』は、16歳の時、
恋仲だった『坂部五右衛門』が、
他の男と戯れていたことを知って、
嫉妬から切り捨てたそうです。

『徳川家光』は何度となく、家臣が止めるのも聞かず、
深夜に小姓の『酒井重澄』の所に行ったそうです。

そして、『徳川家光』の寵愛を受けた『酒井重澄』は、
10代という若さで、
2万5千石を有する大名に出世しました。

その後、
『徳川家光』は、『酒井重澄』が27歳の時、
4人の子をもうけたことを知ると、
勤務怠慢だと言って、領地を没収したそうです。

その後、『酒井重澄』は、自殺したそうです。

他にも、『徳川家光』は、
有名な『柳生十兵衛』の弟『柳生友矩』も寵愛しました。

そして、『徳川家光』は、
『柳生友矩』に、13万石の大名にすると約束しましたが、

父『柳生宗矩』は、このままでいると堕落するという事で、
『柳生友矩』を、屋敷に連れ戻したそうです。

その後、『柳生友矩』は、病死したそうです。

将軍『徳川家光』に、子供が出来ないので、
このままいけば、大名たちの世継ぎの推薦合戦が始まり、
幕府が分裂する可能性があるので、

『徳川家光』の乳母として絶大な権力を持っていた
『春日局』は、困り果てて、大奥を改造する事にしました。

元々、『徳川家康』の時代から、
大奥は存在していましたが、
少人数で、バリアフリー的な小規模な物でした。

そのため、ハーレム的に、
多くの女性を大々的に集めた大奥に改造したそうです。

そして、大奥に、千人近い若い女性を集めましたが、
『徳川家光』は、どの女性にも興味を示さなかったそうです。

そのため、
『春日局』は、次の作戦に出ました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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