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『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(3)

『徳川光圀』の父『徳川頼房』は、

若年の頃、異様な衣服や刀を纏い、
傍若無人な振る舞いをしていたので、
そのままにすると、
幕府が、譴責を加えると通達がありました。

そのため、
『徳川頼房』の守役『中山信吉』が、
一命を懸けて、諌言したので、
真面目になったそうです。

その父の遺伝か、『徳川光圀』は、
若い時は、やんちゃだったそうです。

例えば、
処刑された罪人の重い生首を、引きずりまわしたり、
洪水直後の墨田川を泳いだり、
ビロードの襟をつけた派手な着物を着たり、
馬屋へも気軽に入って、
草履取と野卑な世間話をし、
兄弟に「色好み」の事を話をしたり、

『池波正太郎』の「鬼平犯科帳」の
主人公『長谷川平蔵宣以』が若い時、
無頼漢の頭となり、
放蕩三昧の日々を送っていたのと同じ様に、

わがまま放題をしていたそうです。

そのため、父『徳川頼房』は、

自分の若い頃の事は、棚に上げて、

『徳川光圀』に、日ごろの行動に対して、
厳しい注意を与えたりしたのですが、
耳を傾けず、蛮行を繰り返したそうです。

しかし、『徳川光圀』は、
18歳の時に、『伯夷』と『叔斉』の話に感銘を受け、
それまでの生活態度を改め、
勉学に励むようになり、

兄『松平頼重』を差し置いて、
水戸藩を継いだことを気にかけるようになり、
驚くほど真面目になったそうです。

そして、『徳川光圀』は、
兄『松平頼重』の嫡子を自分の世子とするために、
自分の子供が出来た時、

父『徳川頼房』と同じように、
男児であれば死産を命じていましたが、

秘かに、
『伊藤友玄』夫妻が自宅で出産させ、
『松平頼常』が生まれました。

すると、それを知った兄『松平頼重』が、
高松に引き取って、養子にしたそうです。

そして、『徳川光圀』は、

自分の子もいましたが、
兄の子に、水戸藩の家督相続させるため、
兄『松平頼重』の長男『徳川綱方』を養子にして、
嫡子として育てましたが、病死したそうです。

そのため、
兄『松平頼重』の次男『徳川綱条』を養子としました。

そして、『徳川光圀』が63歳で隠居した後、
『徳川綱条』は、第三代の藩主となったそうです。

ちなみに、
ややこしいのですが、
『徳川光圀』の実子『松平頼常』は、
『松平頼重』が隠居した後、
讃岐高松藩の藩主となったそうです。

そして、『松平頼常』が隠居した時、
『松平頼重』の孫『松平頼豊』を養子に迎え、
家督を譲ったそうです。

その後も、両藩はそれぞれから藩主を迎えており、
深い関係が続いたそうです。

水戸徳川家の嫡子問題が、
ややこしくなったのは、

将軍『徳川家光』に、
なかなか子供が出来なかったのですが、

実は、ある事情がありました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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