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光る動物(33)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(26)-『伯夷』、『叔斉』

「殷」の諸侯『墨胎』が治める「孤竹国」の王子は、
3人兄弟でした。

ある時、父王が死んだ時、
長男『伯夷』をさしおいて、
三男『叔斉』に位を譲るとの遺言でした。

『伯夷』は遺言に従って、
弟『叔斉』に王位を継がせようとしました。

しかし、『叔斉』は、
兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、
あくまで兄に位を継がそうとしましたが、

「それでは、父の意思に背く。」と言って、

お互いに譲り合い、話がまとまらないので、
『伯夷』は、自分がいなくなれば、
『叔斉』が、王位に就くのではと考え、
国を捨てて放浪の旅に出ました。

しかし、『叔斉』は、王にならず、
兄『伯夷』を追って、
すぐに、出国してしまったそうです。

そのため、次男が王になったそうです。

『叔斉』は、すぐに、
兄『伯夷』に追い付きました。

そして、
流浪の身となった2人は、
「殷」の首都を目指しました。

しかし、
首都はもちろん、「殷」国内を旅している時も、
人民が役人に、鞭で打たれて酷使され、
また、飢えている人も多く、
暗然たる思いになりました。

でも、
『姫昌』の治める「周」の良い評判を聞き、
安寧の地を求めて、「周」に行く事にしました。

しかし、着いてみると、

憧れの『姫昌』は、数日前に死亡し、

『姫昌』の息子『発』が、軍師『呂尚(太公望)』と共に、

「殷」の『紂王』を滅ぼそうと軍を起こしている所でした。

『伯夷』と『叔斉』は、その話を聞き、
2人は、
『発』が進軍している前に飛び出し、

馬車を止め、

「父上が死んで間もないのに戦をするのは、
孝行でしょうか?

暴君とはいえ、主の『紂王』を討つのが、
仁でしょうか!

孝行と仁を置き去りにするのは、
良い国とは言えません。」と大声で叫びました。

周囲の兵は怒り、
「お前らは、殷のまわし者か?
いらぬ邪魔建てをするな!
殺すぞ!」と殺気立ちました。

すると、『呂尚(太公望)』は、
「手出しをするな!ひとかどの義士ではないか!

このままでは、お前たちは殺される。
言う事は分かったから、この場を去れ!」と言いました。

殷が滅亡し、新王朝の周が建国された後、
『伯夷』と『叔斉』は、

孝行や仁を知らない『発』の治める国「周」で、
出来た米などの食べ物を、食べる事を恥として、

「周」から離れ、首陽山の山奥に隠棲して、
ワラビやゼンマイなどの山菜を食べていましたが、
冬になり、山菜が取れなくなると、
そのまま、餓死したそうです。

死ぬ直前に、
太古の有徳の王を懐かしんだ
歌「采薇歌」をつくったそうです。

「登彼西山兮、采其薇矣。
以暴易暴兮、不知其非矣。
神農虞夏、忽焉沒兮、吾適安歸矣。
吁嗟徂兮、命之衰矣。

意訳:
首陽山に登り 
ワラビやゼンマイなどの山菜を、
採って暮らしています。

今の王は、
前王が暴君と言って、
暴力によって、政権が変わったが、

孝行や仁を無視する今の王も、
やっている事は、同じだ。

その事に、今の王や人々は、
気付かないのか無視をしている。

理想の世界だった神農や舜帝、禹王の世は今はない。 

理想の世界は、何処にもない。 
世も末だ。生きる気力が無くなった。」

この話に感動し、TV『水戸黄門』のモデル『徳川光圀』は、
生き方を変えたそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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