光る動物(33)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(26)-『伯夷』、『叔斉』
- 2017/12/30
- 05:05
3人兄弟でした。
ある時、父王が死んだ時、
長男『伯夷』をさしおいて、
三男『叔斉』に位を譲るとの遺言でした。
『伯夷』は遺言に従って、
弟『叔斉』に王位を継がせようとしました。
しかし、『叔斉』は、
兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、
あくまで兄に位を継がそうとしましたが、
「それでは、父の意思に背く。」と言って、
お互いに譲り合い、話がまとまらないので、
『伯夷』は、自分がいなくなれば、
『叔斉』が、王位に就くのではと考え、
国を捨てて放浪の旅に出ました。
しかし、『叔斉』は、王にならず、
兄『伯夷』を追って、
すぐに、出国してしまったそうです。
そのため、次男が王になったそうです。
『叔斉』は、すぐに、
兄『伯夷』に追い付きました。
そして、
流浪の身となった2人は、
「殷」の首都を目指しました。
しかし、
首都はもちろん、「殷」国内を旅している時も、
人民が役人に、鞭で打たれて酷使され、
また、飢えている人も多く、
暗然たる思いになりました。
でも、
『姫昌』の治める「周」の良い評判を聞き、
安寧の地を求めて、「周」に行く事にしました。
しかし、着いてみると、
憧れの『姫昌』は、数日前に死亡し、
『姫昌』の息子『発』が、軍師『呂尚(太公望)』と共に、
「殷」の『紂王』を滅ぼそうと軍を起こしている所でした。
『伯夷』と『叔斉』は、その話を聞き、
2人は、
『発』が進軍している前に飛び出し、
馬車を止め、
「父上が死んで間もないのに戦をするのは、
孝行でしょうか?
暴君とはいえ、主の『紂王』を討つのが、
仁でしょうか!
孝行と仁を置き去りにするのは、
良い国とは言えません。」と大声で叫びました。
周囲の兵は怒り、
「お前らは、殷のまわし者か?
いらぬ邪魔建てをするな!
殺すぞ!」と殺気立ちました。
すると、『呂尚(太公望)』は、
「手出しをするな!ひとかどの義士ではないか!
このままでは、お前たちは殺される。
言う事は分かったから、この場を去れ!」と言いました。
殷が滅亡し、新王朝の周が建国された後、
『伯夷』と『叔斉』は、
孝行や仁を知らない『発』の治める国「周」で、
出来た米などの食べ物を、食べる事を恥として、
「周」から離れ、首陽山の山奥に隠棲して、
ワラビやゼンマイなどの山菜を食べていましたが、
冬になり、山菜が取れなくなると、
そのまま、餓死したそうです。
死ぬ直前に、
太古の有徳の王を懐かしんだ
歌「采薇歌」をつくったそうです。
「登彼西山兮、采其薇矣。
以暴易暴兮、不知其非矣。
神農虞夏、忽焉沒兮、吾適安歸矣。
吁嗟徂兮、命之衰矣。
意訳:
首陽山に登り
ワラビやゼンマイなどの山菜を、
採って暮らしています。
今の王は、
前王が暴君と言って、
暴力によって、政権が変わったが、
孝行や仁を無視する今の王も、
やっている事は、同じだ。
その事に、今の王や人々は、
気付かないのか無視をしている。
理想の世界だった神農や舜帝、禹王の世は今はない。
理想の世界は、何処にもない。
世も末だ。生きる気力が無くなった。」
この話に感動し、TV『水戸黄門』のモデル『徳川光圀』は、
生き方を変えたそうです。(続く)
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