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光る動物(32)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(25)-蜚廉から風伯へ(17)

『紂王』が負傷して、
宮殿に戻って来ました。

宮殿の警護に当たっていた『飛廉』とその子『悪来』が、
『紂王』に声をかけると、
「戦況は最悪で、もう少しで「殷」が終わる。」と言いました。

そのため、
『飛廉』とその子『悪来』が、
「最後まで戦って、
王朝の意地を見せつけましょう。」と勇気づけたそうです。

そして、『悪来』は、「余裕を持ちましょう。」と言って、
「将棋」や「双六」の起源である「六博」の盤を持ち出して来て、
『紂王』の前に置きました。

しかし、『紂王』は、
しばらく駒を見つめた後、

「天命により、
約600年続いた「商(殷)」王朝の終焉の時が来た。

他人に終わりを与えられるより、

「商(殷)」王朝自身の手で…、

誇りを見せて、自らの意思で、終わせたい。

今後、「商(殷)」の祖廟は、自分の代わりに、
持ち去った兄『微子啓』が、守ってくれるだろう。

おそらく、
これから来る新しい時代は、
より良い時代になるのだろうが、

見る事は出来ない。

後世の人々は、色々言うだろうが、

自分の手で、「商(殷)」が終わる事に満足している。

「商(殷)」は終わりだ。お前らは、好きにしろ。」と言って、

笑いながら、その場から、力なく離れ、
王宮に火を放って、自決したそうです。

ちなみに、『発』の父『姫昌』の
宿敵『祟候虎(崇侯虎)』の子『崇侯応』は、

『紂王』が自決する最後まで、
『紂王』の近侍として仕え、

『紂王』が死んだのを確認した後、
その場で、『崇侯応』は、殉死したそうです。

『祟候虎(崇侯虎)』の孫『崇侯鸞』は、
後日、「周」に、服従したそうです。

そして、
『飛廉』は、
「『紂王』が自決し、「殷」は、終わった。
今後どうしたら良いのか?」と嘆いていると、

黙って、そばにいた『悪来』は、
おもむろに口を開け、

「いっそ周に帰順しますか?」と言いました。

そして、
『飛廉』は、「その手があった。」と言って、手をたたき、

宮殿にあった天子の印章の「璽符(玉璽)」を、
手みやげに、「周」の軍門に降りました。

そして、中大夫に任命されました。

『妲己』は、城の中に隠れていましたが、
見つかり、『発』の前に連れ出されてきました。

『発』は、その美しさに魅入られ、
しばらく見とれていました。

しかし、
『発』は、煩悩を振り払って、

「このまま生かしておくと、
『妲己』の魅力に負け、『紂王』と同じ様になる。

すぐに、首を斬り、「暴虐の女」と書いて、
小白旗の上に刺せ!」と言って、
晒し首としたそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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