光る動物(31)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(24)-蜚廉から風伯へ(16)
- 2017/12/21
- 05:05
周軍の兵士数は、約40万だったそうです。
しかし、周軍は数の上では、確かに劣勢でしたが、
『発』は、今まで調略を行っていたので、
内応者が多数いたし、
神官や、殷に服属している嫌々ながら参加している
属国の兵士たちが、殆どだったので、
周軍を見るや否や、
次々に殷軍から周軍に寝返りました。
そして、
賄賂が好きだった宦官『費仲』は、戦いの中、
助命の為、周軍に賄賂を渡しましたが、
その効果もなく、
大雪の中で、凍死したそうです。
殷軍は、どんどん撤退していったので、
これ以上戦うのは無意味だと考え、
『紂王』の兄『微子啓』は、
和睦を主張しましたが、
『紂王』は、聞く耳を持っていませんでした。
『微子啓』は、弟『紂王』と共に、
祖国に一命を捧げるか、
あるいは、
「殷」の祖廟が無くなるのを防ぐため、
祖国を捨て、「周」の『発』の所に行くかについて、
迷っていました。
そして、
音楽を心から愛していた『微子啓』は、
音楽に限らず色々な方面の知識が豊富で、
日頃から色々な相談に乗ってもらっていた、
尊敬する楽官の太師『疵』、少師『彊』に相談すると、
即答で、「一緒に、「周」に行きましょう。」と言いました。
そして、『微子啓』は、
「商(殷)」の祖廟の28代の神主像を持ち、
弟『微子衍(微仲衍)』と太師『疵』、
少師『彊』と共に国を去りました。
そして、『紂王』の2人の異母兄
『微子啓』と『微子衍(微仲衍)』は、
太師『疵』、少師『彊』を伴い、
「周」の『発(武王)』の元を訪れ、
降伏を申し出ました。
その時、『微子啓』と『微子衍(微仲衍)』は、
完全降伏という事で、
武器を持っていないという事で、
裸で、左手には、羊につけた紐、
右手には、茅を持ち、
地面に頭を付け、許しを請いました。
すると、『発』は、「頭を上げて下さい。
これからは、私たちの仲間です。」と言って、
快く許したそうです。(続く)
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