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光る動物(24)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(17)-蜚廉から風伯へ(9)

『紂王』の叔父に、
高い学識や人徳、深い信仰を持ち、
慈悲深く、聖人と呼ばれる『比干』がいました。

ある時、『比干』は、

「国力が落ちている今、
悪い習慣は立ち切らなければいけません。

臣下たる者は、命をかけて、
諫言しなければならないので、
あえて言います。

「炮烙の刑」と言う残酷な刑罰を見て、
国民は嫌悪感を抱いています。

また、
現在、兵力が十分と言えないのに、
そのような刑で、無駄に国民が死亡すると、
兵力が落ちます。

将来の事をを考えれば、
やめるべきです。」と言って、

『紂王』に、「炮烙の刑」をやめるように諫言したそうです。

『紂王』の愛する狐狸の精霊『妲己』は、
「炮烙の刑」を受ける人々の緊張に満ち溢れた表情を、
見るのが好きだったそうです。

そのため、少しでも落ち度があったり、
『紂王』が気に入らない事をしたら、
すぐに、「炮烙の刑」が行われました。

「炮烙の刑」とは、火を盛大に焚かせ、
その上に銅製の丸太をかけ、

そこを、油をまんべんなく塗りたくった人が、
この銅製丸太を渡りきて、
そして、再びスタートラインに、
戻ってきたら釈放というもので、

途中、滑り落ちれば、
そのまま炎に焼かれて死ぬという残忍な刑罰でした。

『紂王』は、『比干』の諫言を聞くと、

「『妲己』の好きな「炮烙の刑」を止めろと言うのか?

聖人の心臓には、
口、両眼、両耳、両鼻孔の体の穴と同じく、
7つの穴が開いているそうだな。

今回は特別に、それを見てやる。」と言い、

『紂王』の叔父(父の弟)『比干』は、
その場で、手足を縛られ、
心臓を生きたまま取り出されました。

『紂王』は心臓を見て、
「7つの穴が開いていないではないか!」と言って、
心臓を地面に叩きつけたそうです。

『姫昌』は、
幽閉されている間、親交のあった『比干』が、
「炮烙の刑」の件で、心臓を取り出され、
殺されたと言うのを聞き、深く悲しみました。

「炮烙の刑」は、
見たり聞いたりしていたので、
『比干』の死をきっかけに、
「炮烙の刑」について考え、

それが残酷だと感じていたので、

自分の領土に戻ると、
元々、「炮烙の刑」は行われていなかったのですが、
自分の領土の条例で、明文化し、
すぐに廃止しました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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