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光る動物(17)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(10)-蜚廉から風伯へ(2)

『妲己』の父は、政治家には珍しい位
清廉な冀州候『蘇護(蘇忿生)』でした。

『紂王』に、気に入られていた宦官『費仲』は、
本来、貢物を貰うような立場ではないのに、
『紂王』に、気に入られていたのをいいことに、
諸侯に賄賂を要求していました。

しかし、清廉な冀州候『蘇護』が、
賄賂を嫌い、貢物をを送らないので、
宦官『費仲』は、思い知らせるため、
美女好きな『紂王』に、『蘇護』の娘『妲己』が、
物凄い美人だと勧めたそうです。

そして、『紂王』が、
『蘇護』に娘『妲己』を、
差し出せと迫りましたが、

「娘を差し出してまで、
出世しようとは思いません。

君主が色欲に溺れ、民を顧みなければ、
国力は衰え、滅びます。」と諌めたところ、

『紂王』は、逆上し『蘇護』に死刑を言い渡しました。

しかし、
『費仲』が弁護したため、『蘇護』は放免されました。

『費仲』が弁護したのは、
恩を売りつけるためと気が付いていた『蘇護』は、
礼は言ったものの、
『費仲』に賄賂は渡しませんでした。

そのため、『費仲』は、
自分を甘く見るとどうなるか、見せしめが必要だと考え、

『紂王』に、
「『蘇護』は、戦いの準備を始めている。」と言って、

残酷で貪欲で、
「通った後は、草すらも残らない。」と評される
四大諸侯の1人の北伯候(曹州侯)『祟候虎(崇侯虎)』による、
『蘇護』の討伐を勧めました。

『蘇護』は、
「相手がその気なら、城を枕に討ち死し、
陛下が己の愚行に気付かれんことを願う。」と言って、
戦いの準備をしました。

『祟候虎(崇侯虎)』は、最初、大敗を喫したのですが、
弟の『崇黒虎』の援軍を受けて、
『蘇護』の息子『蘇全忠』を捕らえました。

その後、戦いは、一進一退が続きました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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