不死身の分隊長-『舩坂弘』(11)
- 2018/12/23
- 05:05
戦記を書いた印税などの私財を投じて、
戦いが行われた島々に、次々と慰霊碑を建立し、
アンガウル島のあるパラオ諸島原住民に対する援助、
パラオと日本間の交流を行い、
書店経営が忙しかったのですが、
慰霊団の引率、
アンガウル島での遺骨収骨と慰霊の旅を、
毎年欠かさず行ったそうです。
『舩坂弘』さんが築いたアンガウルの慰霊碑慰文は、
「尊い平和の礎のため、
勇敢に戦った守備隊将兵の冥福を祈り、
永久に其の功績を伝承し、
感謝と敬仰の誠を此処に捧げます。」と書かれています。
『舩坂弘』さんは、「生きている英霊」と呼ばれるようになりました。
ちなみに、
アンガウル島で、『舩坂』さんと交流のあった
マサチューセッツ大学教授『ロバート・E・テイラー』は、
戦後『舩坂弘』さんに、
「貴方の勇敢な行動を、私たちは忘れられません。
貴方のような人がいるということは、
日本人全体の誇りとして語り継がれる事でしょう。」と、
手紙を書き送っています。
『舩坂弘』さんの長男『舩坂良雄』さんは、
「父は消えない戦地の記憶のため、毎晩うなされていた。
そして、平和が、何よりも一番大事だと言っていた。」と語っています。
自分も、いまだに、人生で一番勉強した、
獣医の国家試験の勉強をしている夢を時々見るので、
うなされては、いませんが、
強烈な体験をした人なら、分かります。
そして、『舩坂弘』さんは、
2006年2月11日、腎不全のため、
85歳で死去したそうです。
個人の戦闘記録としては、
唯一戦史叢書に載せられていて、
戦史叢書の『陸軍作戦史二巻』には、
「船坂軍曹は、激戦ののち重傷、
最後に敵将に一矢を報いんとして、幾度も戦いを挑み、
重体となり、死の世界を彷徨し、米軍に手厚く看護され蘇生。
昭和二十一年正月、奇跡的に復員帰国した。」と書かれています。
日本の教科書には、近隣諸国条例というアホな制限があるので、
『舩坂弘』さんのことを誇りに思い、
語り継ぐ日本人は、もうすぐ居なくなると思います。
非常に残念です。
『坂本龍馬』が、姉『乙女』に宛てた手紙に書いた
「日本を今一度 せんたくいたし申候。」が必要です。
近隣諸国条例をつくるような政治家を選ぶ日本、
どうした日本?大丈夫ではないぞ、日本!がんばれ日本。
負けているけど、負けるな日本!
『司馬遼太郎』先生の「竜馬がゆく」で、
「この世に生まれたからには、
己の命を使い切らんといかん。
使い切って…生涯を終えるがじゃ。」と書いていますが、
昔、日本には、『舩坂弘』さんのような、男がいたのです。
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