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不死身の分隊長-『舩坂弘』(11)

『舩坂弘』さんは、
戦記を書いた印税などの私財を投じて、
戦いが行われた島々に、次々と慰霊碑を建立し、

アンガウル島のあるパラオ諸島原住民に対する援助、
パラオと日本間の交流を行い、

書店経営が忙しかったのですが、
慰霊団の引率、
アンガウル島での遺骨収骨と慰霊の旅を、
毎年欠かさず行ったそうです。

『舩坂弘』さんが築いたアンガウルの慰霊碑慰文は、

「尊い平和の礎のため、
勇敢に戦った守備隊将兵の冥福を祈り、
永久に其の功績を伝承し、
感謝と敬仰の誠を此処に捧げます。」と書かれています。

『舩坂弘』さんは、「生きている英霊」と呼ばれるようになりました。

ちなみに、
アンガウル島で、『舩坂』さんと交流のあった
マサチューセッツ大学教授『ロバート・E・テイラー』は、

戦後『舩坂弘』さんに、

「貴方の勇敢な行動を、私たちは忘れられません。
貴方のような人がいるということは、
日本人全体の誇りとして語り継がれる事でしょう。」と、
手紙を書き送っています。

『舩坂弘』さんの長男『舩坂良雄』さんは、
「父は消えない戦地の記憶のため、毎晩うなされていた。
そして、平和が、何よりも一番大事だと言っていた。」と語っています。

自分も、いまだに、人生で一番勉強した、
獣医の国家試験の勉強をしている夢を時々見るので、
うなされては、いませんが、
強烈な体験をした人なら、分かります。

そして、『舩坂弘』さんは、
2006年2月11日、腎不全のため、
85歳で死去したそうです。

個人の戦闘記録としては、
唯一戦史叢書に載せられていて、

戦史叢書の『陸軍作戦史二巻』には、

「船坂軍曹は、激戦ののち重傷、
最後に敵将に一矢を報いんとして、幾度も戦いを挑み、
重体となり、死の世界を彷徨し、米軍に手厚く看護され蘇生。
昭和二十一年正月、奇跡的に復員帰国した。」と書かれています。

日本の教科書には、近隣諸国条例というアホな制限があるので、

『舩坂弘』さんのことを誇りに思い、
語り継ぐ日本人は、もうすぐ居なくなると思います。

非常に残念です。

『坂本龍馬』が、姉『乙女』に宛てた手紙に書いた

「日本を今一度 せんたくいたし申候。」が必要です。

近隣諸国条例をつくるような政治家を選ぶ日本、
どうした日本?大丈夫ではないぞ、日本!がんばれ日本。
負けているけど、負けるな日本!

『司馬遼太郎』先生の「竜馬がゆく」で、
「この世に生まれたからには、
己の命を使い切らんといかん。
使い切って…生涯を終えるがじゃ。」と書いていますが、

昔、日本には、『舩坂弘』さんのような、男がいたのです。
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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