fc2ブログ

記事一覧

日露戦争(19)-イギリスの戦艦の愛猫『トーゴ』

日露戦争の結果は、日本の勝利となりましたが、

弱小国の日本により、
世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊が、
壊滅するという予想もしなかった海戦の結果は、

欧米諸国を驚愕させました。

ちなみに、
イギリスは日本海軍の勝因を詳細に研究した結果、
軍艦の根本的な作り直しが必要になったそうです。

そして、大砲を鋼鉄で囲んで動かして撃つ
「砲塔」という概念が出きたそうです。

その「砲塔」のため戦艦が巨大化し、
弩級(ド級)戦艦が出来たそうです。

すなわち、戦艦は、日本海軍の活躍により、
革命的な進化が起きたのでした。

それ以前の戦艦は、
前弩級(旧式)戦艦と呼ばれているそうです。

ちなみに、日本海軍は、
イギリスの弩級戦艦ドレッドノート号の
マスコット猫の名前にも影響を与えたそうです。

日本海軍の指揮官として、
日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献した
東郷平八郎の名前をもらい、
マスコット猫の名前は、『トーゴ』となったそうです。

トーゴ

WesthampnuttTogoShipsCatLostHMS irresistible

ちなみに、5月27日は、
1905年5月27日に日本海軍が、
ロシアのバルチック艦隊を、
殲滅したことを記念して、
海軍記念日とされていました。

しかし、
太平洋戦争敗戦により廃止されました。

有色人の小国の日本が、
白人の大国のロシアに勝ったという前例のない事実は、
白人による植民地支配により、
搾取されていたアジアやアフリカなどの
人種差別下にあった人々を勇気付け、
独立の気運が高まったそうです。

インド首相のネールは、
「日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、
日本についてものすごく知りたくなり勉強した。
日本の勝利は、
アジアのすべての国々に大きな影響を与え、
偉大な救いとなった。」と言ったそうです。

中国で国家の父と呼ばれる孫文は、
「日本の勝利は、
アジア人の欧米人に対する初めての勝利だ。
これは、全アジアに影響を及ぼし、
極めて大きな希望を抱けるようになった。」と言ったそうです。

ビルマのバーモウ首相は、
「日本の勝利が、アジア人の意識の底流に与えた影響は、
決して消えることはない。
すべての虐げられた民衆に、
新しい夢を与える歴史的な夜明けだった。
今でも、日露戦争で日本が勝利を得たことを、
聞いた時の感動を思い起こすことができる。
歴史的にみれば、日本の勝利は、
アジアの目覚めの出発点とも呼べるものだ。」と言いました。

アフリカ解放の父と言われたアフリカ系アメリカ人の
ウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイスは、
「有色人種が、白色人種に劣っているという誤解を、
日本が打破してくれた。
日本を手本として見習わなければいけない。」と言いました。

エジプト民族解放指導者であるムスターファー・カミールは、
「日本人は、ヨーロッパに身の程を、
わきまえさせてやった唯一の東洋人である。」と言いました。

そして、
日露戦争時の交渉は、
『高峰譲吉』の所で書いた
『金子堅太郎』が、アメリカで、
ハーバード留学時代の
同窓生『セオドア・ルーズベルト』アメリカ大統領と
日本の広報外交を展開したそうです。

でも、最近の日本は、
国内の色々な事件や外交を見ると、
レベルダウンしているかもしれません。

武士道を思い出して、
再び誇り高い日本になるように、
政治家はもちろん、自分を含めて
全国民が努力する必要があると思います。(続く)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ジャンルランキング

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ランキング

カテゴリ

鳥 (4)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ