日露戦争(18)-不思議な話(4)

315年頃、『日本武尊』が、
東夷征伐の途中に、

「矢作川の東側の高石山に、賊が住みつき、
人々を苦しめている。」と聞きました。

『日本武尊』は、
賊の退治を行うため、
矢を作る職人である矢作部たちに、
矢を作るよう命じました。

矢を作るための竹は、
川の中州にありましたが、

川の流れが速く、
矢作部たちは、
竹の生えている中州まで、
行けませんでした。

そこへ1匹の蝶が現れ人の姿となり、
竹を切り取ってきたそうです。

矢作部たちは、この竹で1万本の矢を作り、
『日本武尊』は、『素戔嗚尊』を祀り、
賊を討ち果たしたそうです。

『素戔嗚尊』を祀った所が、神社になり、
この故事が、
「矢作(矢矧)神社」の名前の由来だそうです。

ちなみに、
矢の仕上げの段階で、
3枚の羽を、3等分に矢の本体に接着し、
筈、羽の両端に糸を巻き、塗料で固め、
一定の形に切り揃えることを、
「矧ぎ付け」と言いますが、
そのことから、矢作を「矢矧」と書くそうです。

ちなみに、艦名は、
長野県から岐阜県を経て愛知県に至る
「矢矧川」にちなんで名づけられたそうです。

ちなみに、
「矢矧」と名前が付いた艦は、
筑摩型防護巡洋艦「矢矧」以外にも、
第二次世界大戦で活躍した
大日本帝国海軍の軽巡洋艦「矢矧」があり、
戦艦「大和」と共に撃沈されたそうです。(続く)
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