日露戦争(17)-不思議な話(3)

1919年頃、筑摩型防護巡洋艦「矢矧」で、
元軍人Kさんが体験した話です。

Kさんは、砲術士を命じられました。

鑑内を調べると使えそうな予備室があったので、

副長に、

「事務もあるので、
自分用の部屋として、使用したい。」と、
許可をもらいに行ったそうです。

すると、副長から、
「次室士官のくせに、
ハンモックで十分だ。」と怒られました。

しかし、Kさんは、バレないと思い、
黙って予備室に忍び込み、荷物を運んで、
勝手にその部屋に住み着いたそうです。

ある晩、
横須賀に転任するY中尉の
送別会がありました。

Y中尉が、泣きながら、

「Kさん、一週間後には、
僕は、この世にはいない。」と言いました。

Kさんは、「何故?」と聞いても、

Y中尉は、
「Kさんが今使っている予備室は、
やめておいたほうがいい。」と言うだけでした。

Kさんは、再び、「何故だ?」と聞くと、

Y中尉は、泣き続け、
「とにかくやめたほうがいい。」と言うだけでした。

Kさんは、
不思議に思いながらも深夜2時まで呑み、
予備室に戻ってきて、寝ました。

毛布を三枚かけて寝ましたが、
寒いと思って目を覚ますと、
蹴っ飛ばしたらしく、
毛布は部屋の端にありました。

ふと船窓を見ると、月の光が見えました。

次の瞬間、その窓から部屋の中に、
次々と黒い影が入ってきました。

Kさんは、
驚き、完全に目が覚めましたが、
助けを求めたくても、声も出ませんでした。

ようやく、ドアまでたどり着きましたが、
恐怖で、手が震えてドアノブがつかめず、
じたばたしていると、
そこに来た巡回の伍長に助けられました。

翌日、Kさんは、
T副長とY水雷長から、
事情を教えてもらいました。

あの予備室は鑑の鬼門で、

1918年6月、
第一次世界大戦中、
インド洋横断航路の護衛のため、
第一特務艦隊として参加した時、

艦内で赤痢が大発生し、
乗員400人中、
数十人しか動けない状態だったそうです。

戦時中のため、十分な治療が出来ず、
沢山の人が死亡したそうです。

その死体安置所として、
あの予備室が使われたそうです。

ちなみに、転任していったY中尉は、
何度も、あの予備室に入り込み、
親に反対された恋人を想っていたらしく、
そこで、霊を見ていたと思われました。

その後、
Y中尉は、恋人と自殺したそうです。

その後、
愛知県岡崎市の「矢作神社(矢矧神社)」に
1920年に、「矢矧」の写真を奉納し、
1921年、全乗組員が参拝し、

鑑の武運長久を祈ると同時に、
怨霊退散を祈念し、
1/100の「矢矧」の模型を奉納しました。

その後、奇妙な事は、無くなったそうです。

ちなみに、
「矢作(矢矧)神社」の名前の由来は、
『日本武尊』が、関係しています。(続く)
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