日露戦争(14)-ロジェストヴェンスキー(5)

『ロジェストヴェンスキー』は、
ロシアに戻ってすぐに、大将に昇進しました。

その後、1906年に、
日露戦争に関する軍法会議が開かれました。

その時、『ロジェストヴェンスキー』は、
「敗戦の責任は自分にある。
自分と『ネボガトフ』だけを訴追すればいい。」と発言しましたが、

戦闘中に重傷を負い指揮権を持っていなかったとして、
少将に降格されただけでした。

その代わり、
『ロジェストヴェンスキー』が倒れた後、全軍の指揮をした
『ニコライ・イワノヴィチ・ネボガトフ』提督と『コロン』参謀長は、
死刑の宣告を受けました。

しかし、すぐに懲役16年に減刑され、
その2年後、健康状態が悪化したので、
解放されたそうです。

しばらくすると、『ロジェストヴェンスキー』に対して、
かつての部下から非難が、噴出しました。

何故なら、
『ロジェストヴェンスキー』は、

無能な部下のせいで、
ドッガーバンク事件が起きて、
厳しい航海になっていたと考えていたので、

イラついていていたので、
日本に向かう航海の間ずっと、
うっぷん晴らしに、部下に冷たく当たったり、
罵倒したり、双眼鏡などで殴ったりして、
部下に対する態度が、ひどかったそうです。

そのため、
『ロジェストヴェンスキー』に対する、非難が集中したので、
海軍も無視できなくなり、官位を剥奪し、
軍籍からも追放され、名誉を回復する事もなく、
1909年、失意のうちに60歳で死亡したそうです。

ちなみに、
自国より、
中国、韓国、北朝鮮に気を使うという、
教科書検定の近隣諸国条項によって、
知らない人がいるみたいですが、
現在の平和な日本があるのは、
数多くの人々が戦争で、
頑張ったり、犠牲になったりしてできたので、

もしそれがなかったら、
欧米の植民地になっていたと思います。

でも、
それを無視し、

日本が、今まで外国にしてきたことは、
全て悪いという日本否定の教育方針により、

教科書は、
日本を悪く描く自虐的記述が、
目立つようになり、自国の英雄を教えなくなったため、

『東郷平八郎』を知る若い日本人は少なくなりましたが、

実は、『東郷平八郎』は、日本の英雄です。

ちなみに、日本とは違って、
近隣諸国条項が無いので、

中国や韓国、北朝鮮は、当たり前ですが、
自国の英雄については、学校で習うそうです。

そして、日本の悪口を教えているそうです。(続く)
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