日露戦争(13)-ロジェストヴェンスキー(4)

捕虜となった『ロジェストヴェンスキー』は、
佐世保の海軍病院に入院しました。

1905年6月、『東郷』が、軍服ではなく、
白いシャツという平服姿で見舞いに訪れました。

病室に入ると、
『ロジェストヴェンスキー』を見下ろす形にならないよう、
枕元の椅子にこしかけ、
顔を近づけて、状態を気づかいながら、

日頃は、
極端な寡黙で知られる『東郷』が、
周囲の将校が驚くほど、饒舌に話し始めました。

「我々軍人が、
たとえ負けたからと言って、
どうして恥じる必要がありましょうか?

我々軍人は、いたずらに戦争の勝敗に、
こだわっていては、いけません。

勝敗は、軍人の常です。

恥ずべきものではありません。

最も大切な事は、我々軍人が、
その義務を果たしたかどうかという事だけです。

今回の困難な航海や海戦では、
閣下の将兵は、
じつに勇ましく奮闘されました。

私はこれたの将兵に対して、
賞賛の言葉を惜しみません。

そして、閣下に対しても、
特に賛辞を呈したいと存じます。

閣下がその退任を最後まで遂行したので、
閣下を敗軍の将とはけっして思っておりません。

1日も早く、ご全快する事を、心からお祈りしております。」と、
提督をねぎらいました。

『ロジェストヴェンスキー』は、

「敗れた相手が閣下であったことが、
私の最大の慰めです。」と述べ、

『東郷』の手を握りながら、
涙を流したそうです。

そして、『東郷』のはからいもあり、
『ロジェストヴェンスキー』は、
本国の『ニコライ』皇帝に海戦の報告を、
打電しました。

『ニコライ』皇帝は、
『ロジェストヴェンスキー』の健闘を称え、
心配しないで、静養するようにとの、
返信が来たそうです。

ちなみに、
バルチック艦隊全軍に降伏命令を出した『ネボガトフ』も、
打電しましたが、『ニコライ』皇帝からの返信はありませんでした。

その後、『ロジェストヴェンスキー』は、
生涯『東郷』を、尊敬し続けたそうです。

ちなみに、
『東郷平八郎』の曾孫の『東郷宏重』さんは、
現在、海上自衛隊に在籍されていて、
日本の海を守っておられます。

傷の治った『ロジェストヴェンスキー』は、
京都の知恩院で、静養していましたが、
帰国を願い出たため、ロシアへ戻りました。(続く)
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