日露戦争(10)

日露戦争時、日本艦隊は、
海軍の『宮原二郎』が発明した、
蒸気タービンエンジンの動力の源の
「宮原式水管汽罐(ボイラー)」と言う
当時、世界最速のエンジンを取り付けていました。

「宮原式水管汽罐」は、
価格が、当時の世界標準の半分以下で、
給水・掃除が容易で、
耐久性に富み、燃費がよく、
小型でありながら高馬力であるというものでした。

日露戦争の勝利には、
「宮原式水管汽罐」により、
日本海軍の機動性が、
良くなったことも関係しています。

そして、今までの海戦では、
大砲が個々に目標を狙っていたのですが、

大砲を一発撃ち、
その結果をもとに弾道などを計算し、
その結果を基に狙いを定めて、
他の大砲が斉射(一斉射撃)するという、
公算射撃を、海戦では、世界で初めて行いました。

当日は、晴天でしたが、波が高く、船の揺れが激しかったので、
狙った場所に弾を命中させるという事は、
至難の業でした。

ロシアの砲弾は、旧来の火薬を使用していたので、
戦艦の急所である海面との境界の喫水線や火薬庫に、
当たらないと、沈めることが出来ませんでした。

しかし、日本の砲弾は、少々狙いが外れて、
戦艦の喫水線や火薬庫に弾が命中しなくても、
大被害を与える事が出来たそうです。

何故なら、優れた火薬と信管、砲弾があったからでした。

日露戦争で初めて使用された下瀬火薬(下瀬爆薬)は、
海軍の『下瀬雅允』が、開発したものでした。

当時の火薬は乾燥しているとすぐ爆発してしまうため、
15-20%程度の水分を含ませていました。

しかし、水分が多すぎると爆発力は落ちるし、
反対に少なすぎると爆発しやすく危険でした。

そこで、
『下瀬』は、染料に使われたピクリン酸に、
ワックスを混ぜることで、
きわめて安全性の高い火薬をつくり出しました。

そして、冷やすと固まり、温まると液体となるので、
保存も容易になりました。

下瀬火薬は、金属に触れると化学反応により、
3000度以上の高熱ガスが発生し、
それにより、船に塗られたペンキは引火し、
大火災が起きたそうです。

そのため、人が甲板に留まることができなくなり、
戦闘能力を奪ったそうです。

海軍の『伊集院五郎』が開発した伊集院信管は、
非常に敏感であり、砲弾が船に命中しないで、
付近の海中に落ちても爆発し、被害を与えたそうです。

そして、砲弾が爆発すると、
弾殻が3000以上の破片になり、
あらゆる方向に飛び、蜂の巣状に穴をあけました。

そして、ロシアの艦隊を次々に撃破したそうです。(続く)
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