日露戦争(9)

1905年、
『秋山』が夢で暗示を受けた対馬海峡を、

哨戒中だった「信濃丸」が、

相手に気づかれることなく、

バルチック艦隊の病院船「アリヨール」を発見しました。

ちなみに、
艦隊を発見を打電した「信濃丸」は、
当初、シアトル航路用貨客船だったそうですが、
日露戦争のため、仮装巡洋艦となったそうです。

日露戦争後、貨客船に復帰したそうです。
ちなみに、『永井荷風』が渡米した時や、
『孫文』が台湾から日本に亡命する時に、
「信濃丸」に乗船したそうです。

その後、
「日魯漁業(現在の『マルハニチロ』)」の北洋漁業の漁船になり、
第二次世界大戦時には、
再び軍に徴用され輸送船として使われたそうです。

ちなみに、
当時日本兵だった漫画家の『水木しげる』先生は、
「信濃丸」に乗船したそうです。

その時は、触るだけで、船体の鉄板が、
ボロボロに欠けて、落ちるほど老朽化が進んでいて、
「浮かんでいるのが不思議。
魚雷が当たらなくても、
そばを通過するだけでも沈む。」と思われていたそうです。

その後、「日魯漁業」に戻されたそうです。

ちなみに、「日魯漁業」で、
「信濃丸」の名前を受け継いだ2代目「信濃丸」は、
船内で魚等の缶詰製造まで出来る工船だったそうです。

終戦時にはシベリアからの引揚船として使われ、
その後、老朽化の為引退したそうです。

そして、「信濃丸」は、
『島津源蔵』が開発した鉛蓄電池と、

逓信省の『松代松之助』と
海軍の『木村駿吉』が作製した
当時、世界最高の性能を誇った
三六式無線電信機によって、

「敵艦隊見ユ」と打電し、

この無線は戦艦「厳島」に中継され、
旗艦「三笠」に届きました。

バルチック艦隊発見の報告を受けた旗艦「三笠」の
『秋山』は、大本営に宛て、
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、
聯合艦隊ハ直チニ出動、
コレヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と発信しました。(続く)
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