日露戦争(4)-ロジェストヴェンスキー(1)
- 2017/04/18
- 05:05
司令長官『ジノヴィー・ペトロヴィチ・
ロジェストヴェンスキー』の航海は、
かなり困難な物でした。
ロシアは、日本艦隊が日本に着くまでの間、
奇襲攻撃を想定し、世界各地でエージェントを雇い、
日本艦隊の動向を監視させました。
すると、
エージェントは報奨金目当てに、
日本の水雷艇を発見したと、
世界各地から情報を送って来ました。
そのため、バルチック艦隊は、
神経過敏に陥っていました。
そして、
ドッガーバンク事件が起こりました。
イギリスの制海権のある
北海の浅瀬の広大な砂堆の
ドッガーバンクはよい漁場で、
エージェントはこの海域でも、
日本の水雷艇が待ち伏せしていると
報告していました。
以前、ウラジオストック艦隊『イェッセン』提督が、
「霧こそ信頼できる我らが同盟者である。」と言っていた
濃霧の中、
バルチック艦隊は、進んでいました。
しかし、工作船「カムチャツカ」が、
機関が故障したため遅れを生じ、
所在不明となっていました。
その「カムチャツカ」から旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」へ、
「水雷艇に追跡されつつあり。」との
無線通信が送られてきました。
そのため、
「戦闘配置につけ」のラッパが鳴りました。
すると、緊張の極度の中にいた船員たちが、
「水雷艇だ。魚雷攻撃だ。
駆逐艦だ。我々はやられた。」とパニックに陥りました。
砲手は恐怖に襲われ、
暗い海面に向けてやみくもに発砲しました。
艦橋からは敵らしき多数の灯火が確認され、
数隻の小型汽船が探照灯に照らし出され、
うち1隻が、突進してきたように見えました。
そのため、砲弾を撃ち込み、撃沈しました。
沈んでいく小型船を見て、
司令長官『ロジェストヴェンスキー』は、
「よくもこんな馬鹿なことがやれたものだ。
よく見ろ、あれは漁船だ。」と狂ったように怒鳴り続けました。
良質の石炭を産出するイギリスは、
義和団の乱で書いたように日本の同盟国でした。
イギリスは、自国漁船が誤って攻撃されたこの事件により、
市民レベルで反露、親日の機運が盛んとなりました。
イギリスは、
バルチック艦隊の航路上にある中立の各国に、
「バルチック艦隊の寄港受け入れは、
中立違反である。」と圧力を加え、
当然、
自国の植民地の港への寄港も拒否しました。
また当時の船の主力燃料で、
イギリスが供給の大部分を支配していた
「無煙炭」の補給も拒否しました。
そして、ロシアと契約していたドイツの運輸会社に、
石炭の供給を止めるように圧力をかけました。
バルチック艦隊は、日本に来るまで、
満足な補給も保養もなく、
燃料である石炭の供給が不足しがちで、
調達できたとしても、石炭が粗悪なものであったため
乗組員は相当に疲弊しきっていました。(続く)
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