日露戦争(8)

日本は、ロシアに比べて、かなり戦力不足でしたが、
優秀な人物が多くいて、
「技術立国:日本」の名前の通り、
知力、技術力、科学力で補いました。

作戦計画の全てを担当した『児玉源太郎』は、
視野が広く判断力に優れていて、

日本軍の参謀育成の教官として、
招かれたドイツ陸軍参謀将校の
『クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケ』ルから、
才覚を高く評価されていて、

日露戦争開戦を聞いたメッケルは
「日本に『児玉』が居る限り心配は要らない。
必ずロシアを破り、
勝利を勝ち取るであろう」と述べたそうです。

そして、『児玉』は、
戦争の準備をする前に、
次の事柄を実行しました。

兵器,弾薬の国内生産力を高めるため、
重工業を盛んにし、

陸軍の『明石元二郎』を派遣し、
ロシア国内の諜報活動と攪乱工作を図り、
ロシア政府に対する不満を扇動しました。

そして、『児玉』は、
情報戦の主導権を得るために、
通信用の海底テーブルを、日本近海に敷設しました。

そして、全戦艦に無線電信を装備しました。

ちなみに、1899年、
アメリカ海軍は無線導入について検討しましたが、
海軍には使えないと判断したそうです。

しかし、
日本海軍は、無線導入について検討し、
1903年、三六式無線電信機を、
正式採用しました。

海戦で無線電信を活用したのは、
世界で初めてだそうです。

ちなみに、ロシアの戦艦間の連絡は、
手旗信号だったそうです。

無線電信については、後で詳しく…。(続く)
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