日露戦争(3)-皇后の奇夢

日露戦争が始まった1904年2月10日、
『昭憲皇太后(明治天皇妃)』が、
「皇后の奇夢」と呼ばれる夢の話が発表されました。

日露戦争開戦当時、

『東郷平八郎』率いる日本艦隊が、
バルチック艦隊をうまく捕捉して、
叩き潰せば良いが、

捕捉に失敗してし、旅順艦隊と合流してしまえば、
日本海軍に勝ち目はないという状況だったので、

新聞の漫画にまで書かれる程、
日本国民の最大の関心事は、
ロシアのバルチック艦隊の動向でした。

『昭憲皇太后』が、静養のため、
葉山の御用邸で、寝ていると、

白衣を着た30代の武士が、
夢枕に立ち、一礼してから、

「私は、維新で多少の働きをした
『坂本龍馬』と申すものです。

戦争の海軍守護をしますので、
バルチック艦隊については、
ご心配には、及びませぬ。」 と言って、
消えたそうです。

『昭憲皇太后』は、『坂本龍馬』について、
名前は知っていましたが、顔はしりませんでした。

『昭憲皇太后』は、
その武士が、本当に『坂本龍馬』かどうかが気になり、
天皇と皇后に関する事務をしていた『香川敬三』に、
『坂本龍馬』の写真が見たいと言いました。

『香川敬三』は、
『坂本龍馬』についての情報を、
知っている『大浦兼武』に相談したところ、
寺田屋の女将『おとせ』が、
持ってるはずだということで、
手紙を書いたそうです。

すると、
おとせの娘婿『荒木英一』が上京し、
『香川敬三』のもとに写真を届けました。



そして、『昭憲皇太后』は写真を見て、
「確かに、この人に間違いない。」と驚かれたそうです。

これが、大々的に新聞に載って、
国民の士気を鼓舞し、

それまで、一般人には、
無名に近かった『坂本龍馬』が、
有名になったそうです。

そして、
霊山官祭招魂社(京都霊山護国神社)内にある
『坂本龍馬』の墓前に、
忠魂碑が立てられたそうです。

ちなみに、
霊山官祭招魂社(京都霊山護国神社)は、
明治天皇から、
維新を目前にして倒れた志士たちの御霊を奉祀するために、
京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられ、
創建されたもので、
『木戸孝允』、『中岡慎太郎』、
『久坂玄瑞』、『高杉晋作』ら幕末勤王の志士1356柱、
明治以降の日清戦争、日露戦争、
太平洋戦争などの戦死者を合わせ約7万3千柱が、
祭神として祀られているそうです。

『昭憲皇太后』は、
『坂本龍馬』の夢がきっかけで、
寺田屋を訪問する事にしたそうです。

そして、
寺田屋主人『寺田屋伊助』は、
鳥羽伏見の戦で焼失していた寺田屋を再建し、
『坂本龍馬』が愛用していた品物だと言って、
鍔模様の茶器を、献上したそうです。

ちなみに、
『坂本龍馬』が死亡した時、
妻の『おりょう』の枕元に、
血まみれの『坂本龍馬』が、
脱力した感じで立っていたので、
『おりょう』は、
最後の別れを言いに来たと思い、

怖いというよりも、

むしろ、恋しくて、悲しくなり、

血まみれの『坂本龍馬』が消えた時に、
寂しくなったそうです。

知っている故人で、
自分に危害を加えない事が分かっていて、
別れを言いに来たとか、
来た目的が分かっているなら、
出会っても怖くないようです。

自分も同じような経験があるので、
分かります。(続く)
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