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ラスプーチンとタフな犬の話(1)-ラスプーチン(1)

ラスプーチンという名を一度は聞いたことがあると思います。

ラスプーチンは、ロシア皇帝ニコライ2世に信頼された怪僧です。

ラスプーチンには妻と3人の子供がいましたが、

ロシア革命の際、
娘のマリア・ラスプーチン以外は殺害されたそうです。

その後、彼女はフランスに亡命し、
ヨーロッパ、アメリカ、南米などで、
サーカス・パフォーマーとして活躍した後、
カリフォルニアに落ち着き
父親の汚名を返上するために、
伝記などの本を書きました。


ラスプーチンの伝記を読んだ時、
ある犬の事を思い出しました。

犬の話の前に、
ラスプーチンの話も興味深いので、
まずは、ラスプーチンの話から。


グリゴーリ・エフィモーヴィッチ・ラスプーチンは貧農の息子で、
修行僧と自称していましたが、正規の教育は受けていませんでした。

20歳で結婚した後、突然、父親や妻に「巡礼に出る」と言い残して
村を出奔したそうです。

そして、10数年の放浪で、
相手を威圧させる眼力と自信に満ちた説教の力と
病気治療の祈りの力を得たそうです。

村へ帰って、病気治療を施して信者を増やし、
「神の人」と呼ばれるようになり、
彼に心服する信者が増えたそうです。

「救いを得るためには、
罪を犯さなければならない」という考えに基づき、
独自の礼拝や儀式を行っていたそうです。

一般人には評判は良かったのですが、
正統派の司祭たちの眼には、
インチキで、異端に見えていました。

でも、ラスプーチンは、
あくまで正統派のつもりだったそうです。

ちょうどその頃、
ロシアの皇帝ニコライ2世の子アレクセイが
血友病になり、状態が悪くなっていました。

ロシアやフランスじゅうの名医が集められ、
治療を受けました。

でも、ますます悪化して、体が弱っていき、
命が危ぶまれるようになりました。

その時、側近がラスプーチンの評判を皇帝に話すと、
藁にもすがる思いで、ラスプーチンが呼ばれたそうです。(続く)
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ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

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嬉しいです。

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