高峰譲吉(18)日米の懸け橋(1)
- 2017/01/04
- 05:05
ジアスターゼなどの発見などによって
巨万の財を得て、小さな池ではなく、
湖があるような
大豪邸に住んでいたそうです。
1904年、日露戦争が始まりました。
日本は開戦当初から、
長期決戦では、日本の国力が持たないので、
アメリカの介入による講和を期待し、
『セオドア・ルーズベルト』米大統領と
ハーバード大学の同級生で、
親交のあった『金子堅太郎』を、
派遣しました。
ちなみに、
第26代米大統領『セオドア・ルーズベルト』と
第32代大統領『フランクリン・デラノ・ルーズベルト』は、
親戚関係ですが考え方は、ものすごく違い、
『セオドア・ルーズベルト』は、善良で、
大の日本びいきで、良い人でしたが、
『フランクリン・デラノ・ルーズベルト』は、
上から目線の嫌味な人で、
その上、差別主義者で、
日本人を劣等民族と考えていたので、
日本に対して、すごい事を行いますが、
その話は、後日、詳しく…。
『金子堅太郎』は、
善良な『セオドア・ルーズベルト』大統領と旧交を温めて、
日本に有利な局面で、
ロシアに講和を働きかけて貰う約束を取り付けました。
その際、『セオドア・ルーズベルト』大統領に、
日本を理解してもらう為に、
『新渡戸稲造』の「武士道」を手渡しました。(続く)
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