昔話(148)-高峰譲吉(17)-アドレナリン(4)

『エイベル』が見つけた
「エピネフリン(アドレナリン)」発見を、
祝う行事の準備段階の一環として、

1974年、
『エイベル』の実験が、
いかに優れていたかを、
証明するための比較として、

『上中啓三』が残していた実験記録と
『エイベル』の実験記録を検証した結果、

残念な事に、
『エイベル』の主張が、
まったく的外れであっただけでなく、

『上中啓三』の方法では、
「アドレナリン」は、結晶化しましたが、

『エイベル』の方法では、
「アドレナリン」は、結晶化しないことが判明し、

『エイベル』の「アドレナリン」発見を、
称える式典は、中止されました。

『エイベル』が訴えた盗作疑惑は、
まったくの濡れ衣で、

発見から何十年もたっていたので、
『高峰譲吉』らの関係者たちは、
とうの昔に死亡していましたが、

「アドレナリン」の発見者は、
『高峰譲吉』と『上中啓三』と確定しました。

そして、
アメリカ白人社会では、
すぐには、
認めたくなかったので、

白人の功績が間違いで、
黄色人種の功績と確定して、
何十年も過ぎてから、

2002年、ようやく、
「アドレナリン」の名前も認めるようになりました。

ただ、「エピネフリン」という名前も使用しています。

日本では、アメリカに気を使って、
「エピネフリン」という名前を使用していましたが、

北海道大学名誉教授の『菅野富夫』らが、

ヨーロッパでは、
最初から「アドレナリン」という名前を正式に使用しているし、

あのアメリカでさえ、『高峰譲吉』の業績を認めたし、
『高峰譲吉』の母国の日本だから、
「エピネフリン」に代わり、
「アドレナリン」という名前を正式に、
採用して欲しいとの厚生労働省への要望しました。

そして、
2006年、日本も無視出来なくなり、重い腰を上げ、
「エピネフリン」という名称も併用しながらも、
ようやく「アドレナリン」という名前を、
正式に使用するようになりました。(続く)
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