高峰譲吉(16)-アドレナリン(3)
- 2017/01/02
- 05:05
『高峰譲吉』が、
死亡した5年後の1927年、
突然、
「アドレナリンの生成に成功したのは、
自分の方が先で、
『高峰譲吉』たちが、「アドレナリン」発表前に、
自分の研究室を訪問した時に、
盗作したものだ。」と主張し始めました。
当時、アメリカの白人社会では、
人種差別は、当たり前だったので、
黄色人種の活躍に、
強い拒否反応を持つ人が多かったそうです。
そのため、
『エイベル』がクレームを言ってから、
アメリカの白人の科学者や医師たちは、
「やはり、白人の成果を盗作したもので、
白人より劣っている黄色人種が、
難しい事が出来るはずない。」と
何の疑問も持たずに、
全員一致で、検証など、何もしないで、
すぐに、
『エイベル』の言い分を全面的に認め、
以降、アメリカ国内では、
軽蔑すべき黄色人種が、
命名した「アドレナリン」という名称は廃止され、
白人の『エイベル』が名付けた「エピネフリン」という名称が、
用いられる事になりました。
しかし、(続く)
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