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高峰譲吉(11)-タカヂアスターゼ(3)

『塩原又策』は、
船舶給水業や貸地貸家業を行う
事業家『塩原又市』の子供として、
1877年、横浜に生まれました。

父『塩原又市』と
製茶販売商で、「茶の大谷」として広く知られた
『大谷嘉兵衛』は友人関係でした。

そして、『塩原又策』は、
『大谷嘉兵衛』の「日本製茶会社」で、
実務の手ほどきをうけ、

その後、
1897年、『大谷嘉兵衛』と父が共同出資し、
設立した「横浜絹物会社」で、
取締役支配人になりました。

1897年、『塩原又策』は、
友人の『西村庄太郎』が渡米する時、

新しい事業の探索を、依頼しました。

そして、『塩原又策』と『西村庄太郎』は、
「タカヂアスターゼ」の事を知り、
日本独自で販売する会社を探しているという事も知り、
輸入販売権を手に入れたいと考えました。

1898年、『西村庄太郎』は、
『高峰譲吉』を訪ね、熱心に頼みました。

『高峰譲吉』は、日本での販売の協力者が、
必要と考えていたので、創意と情熱があり、
若いけどしっかりした考え方を持つ『西村庄太郎』を気に入り、
「タカヂアスターゼ」の輸入販売権を許可しました。

1899年、日本で「タカヂアスターゼ」を販売するため、
『塩原又策』、『西村庄太郎』、
『福井源次郎』の3人が共同出資し、

『大谷嘉兵衛』の呼びかけにより、

『長井利右衛門』(『大谷嘉兵衛』の茶商の仲間)、
『渡辺和太郎』(『大谷嘉兵衛』の事業仲間の長男)、
『古谷竹之助』(『大谷嘉兵衛』の元部下)、

そして、『塩原又策』の幼馴染で、
『大谷嘉兵衛』の養嗣子『大谷幸之助』が、

設立発起人となりました。

そして、
「三共商店(三共株式会社)(現 第一三共)」が設立され、
『高峰譲吉』に、初代の社長を依頼しました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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