昔話(142)-高峰譲吉(11)-タカヂアスターゼ(3)

『塩原又策』は、
船舶給水業や貸地貸家業を行う
事業家『塩原又市』の子供として、
1877年、横浜に生まれました。

父『塩原又市』と
製茶販売商で、「茶の大谷」として広く知られた
『大谷嘉兵衛』は友人関係でした。

そして、『塩原又策』は、
『大谷嘉兵衛』の「日本製茶会社」で、
実務の手ほどきをうけ、

その後、
1897年、『大谷嘉兵衛』と父が共同出資し、
設立した「横浜絹物会社」で、
取締役支配人になりました。

1897年、『塩原又策』は、
友人の『西村庄太郎』が渡米する時、

新しい事業の探索を、依頼しました。

そして、『塩原又策』と『西村庄太郎』は、
「タカヂアスターゼ」の事を知り、
日本独自で販売する会社を探しているという事も知り、
輸入販売権を手に入れたいと考えました。

1898年、『西村庄太郎』は、
『高峰譲吉』を訪ね、熱心に頼みました。

『高峰譲吉』は、日本での販売の協力者が、
必要と考えていたので、創意と情熱があり、
若いけどしっかりした考え方を持つ『西村庄太郎』を気に入り、
「タカヂアスターゼ」の輸入販売権を許可しました。

1899年、日本で「タカヂアスターゼ」を販売するため、
『塩原又策』、『西村庄太郎』、
『福井源次郎』の3人が共同出資し、

『大谷嘉兵衛』の呼びかけにより、

『長井利右衛門』(『大谷嘉兵衛』の茶商の仲間)、
『渡辺和太郎』(『大谷嘉兵衛』の事業仲間の長男)、
『古谷竹之助』(『大谷嘉兵衛』の元部下)、

そして、『塩原又策』の幼馴染で、
『大谷嘉兵衛』の養嗣子『大谷幸之助』が、

設立発起人となりました。

そして、
「三共商店(三共株式会社)(現 第一三共)」が設立され、
『高峰譲吉』に、初代の社長を依頼しました。(続く)
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