昔話(141)-高峰譲吉(10)-タカヂアスターゼ(2)

「パーク・デービス(現 ファイザー)」社は、
「タカヂアスターゼ」の事を知りましたが、
黄色人種の日本の技術を見下していました。

しかし、
『高峰譲吉』のつくった
「タカヂアスターゼ」の効果を調査した結果、
従来の物に比べて約20倍も効果があったので、
「パーク・デービス」社の社員たちは、
ものすごく驚きました。

そして、1897年、
デトロイトに本社をおく「パーク・デービス」社から、

『高峰譲吉』に、
「タカヂアスターゼ」を、
全世界で売ってあげましょうと上から目線で、
言ってきました。

しかし、『高峰譲吉』は、「タカヂアスターゼ」を、
いろいろな用途で、
別会社で販売を行う事を考えていました。

それを知った「パーク・デービス」社の社長は、
他社に取られてはまずいと考え、

あわてて、『高峰譲吉』を顧問にして、
他にも何でも条件を飲むから、
全て任せてくれと言って好条件で迎えました。

そして、
「パーク・デービス」社が、
「タカヂアスターゼ」を、販売したところ、
胃のもたれがなくなると、

全世界で、大評判になり、
製造が追いつかない位、売れたそうです。

ちなみに、
『高峰譲吉』は、日本だけは、
日本の会社にまかせたいという強い思いがあり、
日本における販売権だけは、契約から除外していました。

そして、日本で、
「タカヂアスターゼ」を販売しようと決心したのが、
21歳の若者の『塩原又策』でした。

ちなみに、
当時、『高峰譲吉』は、44歳でした。(続く)
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