昔話(133)-高峰譲吉(2)

『高峰譲吉』は、
将来の進路を決定する際、

3歳の頃、経験した「安政の泣き一揆」の事を、
思い出しました。

1858年、加賀で、
冷夏や長雨などの自然災害のため、
凶作となりました。

そのため、商人による買占めや売り惜しみにより、
米の価格が高騰し、庶民の生活は困窮したそうです。

7月11日夜、凶作のため米不足で、
苦しんでいた約2000人の町民たちが、
卯辰山に登り、金沢城に向かって、

「腹が減った!」「米くれぇー」と、2日間にわたり、
涙ながらに大声で叫んだそうです。

卯辰山から金沢城まで1.7kmあったのに、
その声は、金沢城にいた殿様にも届いたそうです。

そのため、翌日、藩の御蔵米500俵が放出され、
米の値段も下げられる命令が出されたそうです。

ただし、
事前の断りもなく直訴をすることは重罪であったため、
首謀者7名が7月26日に捕縛され、
5名が打ち首、2名が獄死したそうです。

当時、3歳だった『高峰譲吉』は、
父『高峰精一』の背に、
恐さに震えながら、しがみついていましたが、
その光景が、頭から離れなくなりました。

その時、『高峰精一』は、
「医術の前に、貧富の差はない。
将来は、今夜のような人たちを、
救える医者になれ。」と言いました。

それ以降、『高峰譲吉』は、
どうしたら、沢山の困っている人を、
救えるようになるのかを、
事あるごとに、考えるようになりました。

そして、
『高峰譲吉』は、
医者は一人づつしか救えない。
一度に、沢山の人を救うのは、

科学(化学)だと考え、

両親の猛反対がありましたが、

高峰家代々続く医学ではなく、

科学(化学)の道へ進もうと決心したそうです。

そして、(続く)
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