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高峰譲吉(2)

『高峰譲吉』は、
将来の進路を決定する際、

3歳の頃、経験した「安政の泣き一揆」の事を、
思い出しました。

1858年、加賀で、
冷夏や長雨などの自然災害のため、
凶作となりました。

そのため、商人による買占めや売り惜しみにより、
米の価格が高騰し、庶民の生活は困窮したそうです。

7月11日夜、凶作のため米不足で、
苦しんでいた約2000人の町民たちが、
卯辰山に登り、金沢城に向かって、

「腹が減った!」「米くれぇー」と、2日間にわたり、
涙ながらに大声で叫んだそうです。

卯辰山から金沢城まで1.7kmあったのに、
その声は、金沢城にいた殿様にも届いたそうです。

そのため、翌日、藩の御蔵米500俵が放出され、
米の値段も下げられる命令が出されたそうです。

ただし、
事前の断りもなく直訴をすることは重罪であったため、
首謀者7名が7月26日に捕縛され、
5名が打ち首、2名が獄死したそうです。

当時、3歳だった『高峰譲吉』は、
父『高峰精一』の背に、
恐さに震えながら、しがみついていましたが、
その光景が、頭から離れなくなりました。

その時、『高峰精一』は、
「医術の前に、貧富の差はない。
将来は、今夜のような人たちを、
救える医者になれ。」と言いました。

それ以降、『高峰譲吉』は、
どうしたら、沢山の困っている人を、
救えるようになるのかを、
事あるごとに、考えるようになりました。

そして、
『高峰譲吉』は、
医者は一人づつしか救えない。
一度に、沢山の人を救うのは、

科学(化学)だと考え、

両親の猛反対がありましたが、

高峰家代々続く医学ではなく、

科学(化学)の道へ進もうと決心したそうです。

そして、(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

知らせてもらえれば、
嬉しいです。

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