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高峰譲吉(1)

有名な『坂本龍馬』の写真や、
日本最初の戦場カメラマンとして有名な『上野彦馬』は、
医学伝習所で、
オランダ軍医『ポンペ・ファン・メールデルフォールト』から、
化学を学んで、化学の視点から写真の研究をし、

長崎で、「上野撮影局(上野彦馬写真館)」を開きました。


『坂本龍馬』の撮影場所は、「上野撮影局」で、
撮影は、『上野彦馬』の弟子『井上俊三』と言われています。

「上野撮影局」で、『上野彦馬』は、仕事の空いた時間に、
最新の科学情報を、教えていたそうです。

覚醒剤「メタンフェタミン」を開発した『長井長義』と

工学博士と薬学博士の科学者で、

「三共株式会社 (第一三共株式会社)」の

初代社長『高峰譲吉』は、

「上野撮影局」で、
科学(化学)と薬学を学んだ同級生だそうです。

その関係もあり、
『長井長義』は、「三共株式会社」の顧問でした。

ちなみに、同じ時期に、
『坂本龍馬』も、「上野撮影局」に出入りしていたそうです。

『高峰譲吉』は、
富山県の漢方医『高峰精一』と
造り酒屋の娘『幸子』の間に生まれました。

ちなみに、
『高峰譲吉』が生まれた翌年、
『高峰精一』は、
加賀藩主『前田斉康』の御典医になったそうです。

1865年、12歳で加賀藩から選ばれて、
長崎に派遣され、
長崎在住の英国商人『ウィリアム・ジョン・オルト』の家で、
ホームステイししました。

ある日、『オルト』は、地球儀を見ながら、
「英国も日本と変わらないくらい小さい国なのに、
何故、英国は世界の富を手に入れていると思う?」と

『高峰譲吉』に、問いかけたそうです。

『高峰譲吉』は、
「軍艦と大砲の差だと思います。」と答えました。

『オルト』は、
「確かに、軍艦も大砲も今の日本にはない。
でも、大切なのは、軍艦や大砲を作り出した科学です。

その科学が、今の日本にはない。

あなたが、今長崎で勉強しているのは、
将来、日本に新しい科学(化学)を作り出すためなので、
一生懸命、勉強して下さい。」と
言いました。

その言葉は、強く『高峰譲吉』の頭に残りました。

そして、
日本政府の招請により来日し、
日本薬局方の起草者の
オランダ人薬剤師『アントン・ヨハネス・ゲールツ』が、
教鞭をとっていた「長崎医学校」や「上野撮影局」で、
最先端の海外の科学(化学)や医学を学びました。

その後、(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

知らせてもらえれば、
嬉しいです。

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