昔話(132)-高峰譲吉(1)

有名な『坂本龍馬』の写真や、
日本最初の戦場カメラマンとして有名な『上野彦馬』は、
医学伝習所で、
オランダ軍医『ポンペ・ファン・メールデルフォールト』から、
化学を学んで、化学の視点から写真の研究をし、

長崎で、「上野撮影局(上野彦馬写真館)」を開きました。


『坂本龍馬』の撮影場所は、「上野撮影局」で、
撮影は、『上野彦馬』の弟子『井上俊三』と言われています。

「上野撮影局」で、『上野彦馬』は、仕事の空いた時間に、
最新の科学情報を、教えていたそうです。

覚醒剤「メタンフェタミン」を開発した『長井長義』と

工学博士と薬学博士の科学者で、

「三共株式会社 (第一三共株式会社)」の

初代社長『高峰譲吉』は、

「上野撮影局」で、
科学(化学)と薬学を学んだ同級生だそうです。

その関係もあり、
『長井長義』は、「三共株式会社」の顧問でした。

ちなみに、同じ時期に、
『坂本龍馬』も、「上野撮影局」に出入りしていたそうです。

『高峰譲吉』は、
富山県の漢方医『高峰精一』と
造り酒屋の娘『幸子』の間に生まれました。

ちなみに、
『高峰譲吉』が生まれた翌年、
『高峰精一』は、
加賀藩主『前田斉康』の御典医になったそうです。

1865年、12歳で加賀藩から選ばれて、
長崎に派遣され、
長崎在住の英国商人『ウィリアム・ジョン・オルト』の家で、
ホームステイししました。

ある日、『オルト』は、地球儀を見ながら、
「英国も日本と変わらないくらい小さい国なのに、
何故、英国は世界の富を手に入れていると思う?」と

『高峰譲吉』に、問いかけたそうです。

『高峰譲吉』は、
「軍艦と大砲の差だと思います。」と答えました。

『オルト』は、
「確かに、軍艦も大砲も今の日本にはない。
でも、大切なのは、軍艦や大砲を作り出した科学です。

その科学が、今の日本にはない。

あなたが、今長崎で勉強しているのは、
将来、日本に新しい科学(化学)を作り出すためなので、
一生懸命、勉強して下さい。」と
言いました。

その言葉は、強く『高峰譲吉』の頭に残りました。

そして、
日本政府の招請により来日し、
日本薬局方の起草者の
オランダ人薬剤師『アントン・ヨハネス・ゲールツ』が、
教鞭をとっていた「長崎医学校」や「上野撮影局」で、
最先端の海外の科学(化学)や医学を学びました。

その後、(続く)
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