昔話(131)-アルカロイド(20)-ドラッグ(16)

第二次世界大戦中、覚醒剤は、合法で、
指示された適量を一時的に使っていただけなので、
深刻な被害は、出なかったそうです。

日本軍では、
「メタンフェタミン」製剤は、
「本土決戦兵器」の一つとして量産され、
大量に備蓄されていました。

敗戦後、
日本軍の備蓄品が一気に市場へ流出すると、
酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、
人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として、
「メタンフェタミン」製剤が蔓延しました。

特に、大日本製薬の「メタンフェタミン」の製剤
「ヒロポン錠」という覚せい剤は、
普通に薬局で市販され、大人気商品でした。

ヒロポン

効能書きには、
体や精神を酷使する時、徹夜作業の時、
疲労回復、うつ病、2日酔いや乗り物酔いの時にも、
効果があると書かれていました。

ちなみに、
「ヒロポン」の名前の由来は、
「疲労をポンと取る。」にも掛けているそうですが、
実際は、
ギリシャ語の「philoponus(労働を愛する)」だそうです。

そして、
1947年に、日本で、覚醒剤のリスクが言われ始め、
薬物依存症者「ポン中」が大量発生し、
中毒患者が50万人を超えるなど社会問題となりました。

その上、中毒者による、不潔な取り扱いで、
注射器を使い回し、
ウイルス性肝炎の伝染機会を増加さたそうです。

そして、
1949年、日本国政府はヒロポンを劇薬に指定し、
1951年に「覚せい剤取締法」が施行されましたが、
すでに覚醒剤は、深刻に蔓延していました。

ちなみに、2010年まで、
「醒」は、常用漢字ではなかったので、
それ以前は、「覚せい剤取締法」のように
覚醒剤の「醒」が「せい」と表記されていたそうです。(続く)
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