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藤原氏と陰陽師と天皇(55)

『後三条天皇』即位の
3年前に『藤原能信』が死亡していたので、
『後三条天皇』は、感謝の意味を込めて、

『藤原能信』の養子『藤原能長 
(『藤原能信』の兄『藤原頼宗』の子)』を、
内大臣に大抜擢しました。

そして、『後三条天皇』は、
反摂関家で、
『安倍晴明』の先祖『源師房』や
『源経長』らを登用して、
摂関家の政権独占打破を図り、
有能な『大江匡房』や『藤原実政』らの中級貴族などを登用し、
積極的に親政を行ったそうです。

また、『後三条天皇』は、
『尊仁親王』時代に自分に対して、冷遇していた者に対しても、
報復的態度を取らないよう公正な態度を示したそうです。

そして、延久の善政と言われる、
公正でかつ緻密な荘園整理令を発令しましたが、
これにより、藤原摂関家領が没収される等、
藤原氏の経済基盤に大打撃を与えました。

これにより、
荘園領主、農民に生活の安定をもたらしたそうです。

一方、藤原摂関家は、
『後三条天皇』と藤原氏とは、
血縁関係が薄く、疎遠だったため、
積極的な対抗策を、
打ち出すことが出来ず衰退しました。

そして、
『後三条天皇』が退位した後、
『藤原能信』の
養女『藤原茂子』の
皇子『白河天皇』が即位しました。

そして、『白河天皇』による院政が始まりました。

『白河天皇』は、
既に死亡していた『藤原能信』に対して、
正一位・太政大臣の官を遺贈し、
必ず「大夫殿」と呼んで、
生涯尊敬の念を忘れることはなかったそうです。

そして、
暴れん坊だった『藤原能信』の、
まいた種により、始まった院政は、
『藤原道長』が、怖れていた通り、
藤原摂関家による摂関政治を、
終焉に導く事になりました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

知らせてもらえれば、
嬉しいです。

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