昔話(59)(犬-第4話)-藤原氏と陰陽師と天皇(55)

『後三条天皇』即位の
3年前に『藤原能信』が死亡していたので、
『後三条天皇』は、感謝の意味を込めて、

『藤原能信』の養子『藤原能長 
(『藤原能信』の兄『藤原頼宗』の子)』を、
内大臣に大抜擢しました。

そして、『後三条天皇』は、
反摂関家で、
『安倍晴明』の先祖『源師房』や
『源経長』らを登用して、
摂関家の政権独占打破を図り、
有能な『大江匡房』や『藤原実政』らの中級貴族などを登用し、
積極的に親政を行ったそうです。

また、『後三条天皇』は、
『尊仁親王』時代に自分に対して、冷遇していた者に対しても、
報復的態度を取らないよう公正な態度を示したそうです。

そして、延久の善政と言われる、
公正でかつ緻密な荘園整理令を発令しましたが、
これにより、藤原摂関家領が没収される等、
藤原氏の経済基盤に大打撃を与えました。

これにより、
荘園領主、農民に生活の安定をもたらしたそうです。

一方、藤原摂関家は、
『後三条天皇』と藤原氏とは、
血縁関係が薄く、疎遠だったため、
積極的な対抗策を、
打ち出すことが出来ず衰退しました。

そして、
『後三条天皇』が退位した後、
『藤原能信』の
養女『藤原茂子』の
皇子『白河天皇』が即位しました。

そして、『白河天皇』による院政が始まりました。

『白河天皇』は、
既に死亡していた『藤原能信』に対して、
正一位・太政大臣の官を遺贈し、
必ず「大夫殿」と呼んで、
生涯尊敬の念を忘れることはなかったそうです。

そして、
暴れん坊だった『藤原能信』の、
まいた種により、始まった院政は、
『藤原道長』が、怖れていた通り、
藤原摂関家による摂関政治を、
終焉に導く事になりました。(続く)
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