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藤原氏と陰陽師と天皇(48)

『藤原道長』の妻は、数人いましたが、

『藤原頼通』と『藤原教通』らの母『源倫子』と、

『藤原能信』らの母『源明子』の2人を、

特に愛し、
『源倫子』には、男子2人、女子4人、
『源明子』には、男子4人、女子2人
それぞれ、6人づつ子供が出来ました。

『藤原道長』の最初の妻『源倫子』は、
当時の現職の左大臣
『源雅信(『宇多天皇』の皇子『敦実親王』の子)』の娘で、
『藤原道長』の出世の大きな助けになりました。

それに対して、
『源明子』の父
『源高明(『『宇多天皇』の子『醍醐天皇』の皇子)』は、
同じ左大臣でしたが、
「安和の変」で流罪になり、死亡しました。

ちなみに、
『源明子』の母は、
『藤原道長』の祖父『藤原師輔』の子供です。

「安和の変」とは、
『冷泉天皇』の次の天皇を選ぶ時に、
『源高明』の支持する『為平親王』と
藤原氏の支持する『守平親王』が、
対立しました。

『為平親王』が、
次期天皇候補No1と有力視されていたので、
あせった藤原氏が、『源満仲』を使って、
「『為平親王』らが、東国で乱を起こし、
世の中を乱そうとしている。」とデマを流し、
『源高明』らが流罪になったという事件です。

これは、藤原氏による他氏排斥事件で、
完全なでっち上げ事件と言われています。

『源明子』は、父の死後、
叔父の『盛明親王(源盛明)』の養女となりましたが、
『盛明親王』も、すぐに死亡しました。

その後、『源明子』は、親戚だった『藤原道長』の
姉『藤原詮子』の庇護を受けていましたが、
その時に、結婚しました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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