昔話(53)(犬-第4話)-藤原氏と陰陽師と天皇(49)

平安時代、
死は穢れとして、忌み嫌われていたので、
天皇や一部貴族以外では、墓をつくらず、

庶民も平安貴族も、
破棄(風葬)が一般的でした。

現在、京都の京都市東山区から
西大谷に至る東山山麓は、

八坂神社や清水寺、
高台寺など人気観光スポットが集まる場所で、

鎌倉時代には、京都を監視するための
「六波羅探題」があり、重要な地域で、

「六波羅探題」が出来る前は、平家の領地でした。

しかし、昔は、その場所は、
この世とあの世の境界と考えられていて、

人々が、死体を土にも埋めず、
死体そのまま野ざらしにして、
放置する風葬の地だったので、
髑髏(どくろ)が散乱していて、

「髑髏原」と言われていました。

そのため、
古くから信仰の地で、
「六道珍皇寺」や「六波羅蜜寺」が建立されました。

ただし、
現在は、鬼太郎に出てきそうな、
おどろおどろしい名前の
「髑髏(どくろ)」から、
「六道(ろくどう)」、

「髑髏(どうろ)町」から、
「轆轤(ろくろ)町」と名前を変えたそうです。

その中でも、
特に、カラスが集まる大きな面積の場所を、
「鳥辺野(鳥辺山、鳥部野、鳥戸野)」と呼んでいました。

そのため、平家は、カラスを見慣れていたので、
平家伝来の宝刀は、「小烏丸(こがらすまる)」
と名付けたそうです。

徒然草で、「鳥辺野」について、

「鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、
いかにもののあはれもなからん。
(意訳:死があるからこそ、
哀れがわかる。)」と書いています。

「鳥辺野」で起きた不思議な話はがありますが、
後日…。

『小右記』で有名な『藤原実資』は、
愛娘が死亡した時、部下に命じて、
遺体を「鳥辺野」に、破棄させたそうです。

数日後、『藤原実資』は、
遺体が、どうなったかが、
気になって従者に命じて、確認したところ、
動物に食べられて、無くなっていたそうです。

藤原一族は、主に木幡山に風葬していました。
そのため、木幡山には、
藤原一族の遺骨が散乱していたそうです。

『藤原道長』は、それを憂いて、

最初に、埋葬する場所『浄妙寺』、

次いで、
法事をする場所『法成寺』を完成させたそうです。(続く)
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