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宇宙に行った生物

食中毒を起こすサルモネラは、
宇宙では毒性を高めることが分かりました。

2006年9月スペースシャトル『アトランティス』で
宇宙へ送られ地球に戻ってきたサルモネラ菌は、

通常よりも少ない投与量(4分の1程度)で
ネズミを感染させることができたそうです。

サルモネラ菌を使って
50%のネズミが死ぬまでに要した宇宙帰りの菌の量は、
地上の菌の4分の1量にとどまったそうです。

地球培養のサルモネラ菌を与えたネズミは
3週間後に40%が生存していましたが、
宇宙旅行を経たサルモネラ菌を
与えられたネズミの生存率はわずか10%。

無重力環境では細胞膜が周囲の液体から
受ける圧力が減るためだと推測されています。
なお、宇宙で培養されたサルモネラでは、
167の遺伝子の発現過程が変化したそうです。

『Public Library of Science ONE』誌で最近発表された
Nickerson氏の最新の研究においては、

サルモネラ菌が再び宇宙へ打ち上げられたが、
十分な養分で培養された場合は、
やはり非常に高い毒性を示したとのこと。

ただし、養分濃度の低い培養液に入れたサルモネラ菌では、
毒性がはるかに低くなることが確認されました。

研究に当たった微生物学者は、
この研究結果はサルモネラや他の病原菌への理解を前進させ、
新たな治療法の促進に寄与するものだと語っています。

ちなみに、宇宙に行った最初の生物はミバエとトウモロコシの種。
1947年、アメリカのV2ロケットによって打ち上げられたそうです。

この実験の目的は高高度における宇宙線被曝の
影響を調査することでした。

地球軌道を周回した初の動物は、
ソ連が1957年11月3日に打ち上げた
スプートニク2号に搭乗していた
イヌのライカ(本名:クドリャフカ=巻き毛ちゃんが、
外人には発音し難いので、
ライカ=吠える者に改名したそうです。)でした。


発射時の爆音とエンジンの振動に驚いて
脈は3倍に上昇したそうです。

宇宙船は軌道に到着したのですが、
断熱材が一部損傷したため、
数時間で船内の気温は15度から41度に上昇し、

打ち上げから5時間後、
ライカは生命反応を示さなくなったそうです。

このことは2002年まで秘密にされていて、
宇宙で1週間生きていたとされていたそうです。

1960年8月19日、スプートニク5号に乗った
イヌのストレルカ(=小さな矢)とベルカ(=リス)は、
1日以上地球軌道を周回して生還した初の動物です。


ストレルカとベルカ

ストレルカ(写真左)の子犬のプーシンカ(=ふわふわちゃん)は、
フルシチョフによってジョンFケネディの娘に贈られ、
プーシンカの子孫は現在も生存しているそうです。

プーシンカが来た時、
大統領を警護するシークレットサービスは、
探知機や爆薬など危険な物が犬の体に入っていると考え、
殺害して解剖しようとしましたが、
大統領がそれを止めたそうです。

そして、
ウォルター・リード米軍医療センターで精密検査した結果、
危険な物は無く、異常が無かったそうです。

その後、プーシンカは子犬を数匹出産しました。
大統領はその一団をまとめて、プープニクと呼んだそうです。

ガガーリンが1961年4月12日に,

人類初の宇宙飛行を成し遂げるまでに、
少なくとも10匹のイヌが周回軌道に打ち上げられたそうです。

ソ連は1966年2月22日にコスモス110号に
イヌのヴェテロク(=そよ風)とウゴリョーク(=小さな石炭)を
乗せて、帰還するまでの22日間を軌道上で過ごしたそうです。

イヌの記録としては、宇宙にいた期間では、現在でも最長記録です。
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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