糖尿病(38)-治療の歴史(4)
- 2016/08/08
- 05:05
日本の大学病院では、
糖尿病の人の腹部に、
大量のX線(レントゲン線)を照射したり、
アヘンや毒物の亜ヒ酸を飲ませたりと、
民間療法的なレベルで、
むしろ、体に害を及ぼすような危険な治療でした。
そのため、
当時、日本の糖尿病の権威で、
糖尿病を検査するために、
米飯270gと鶏卵2個を与えて、その後、血糖値を測定し、
糖尿病を評価するという「坂口試験食」を考案した、
東京大学の『坂口康蔵』が、
どれも効果がないという報告をしています。
ちなみに、
インスリン療法は、欧米では供給のメドがつくと、
すぐに患者の自己注射が認められました。
しかし、日本では1981年まで、
自己注射が認められず、
また、保険適用もありませんでした。
1971年、インスリンの自己注射が認めるように、
約11万人の署名を集め、国に求めましたが、
「国としては、正面きって、
これを取り上げるのは難しい。」と言って認められませんでした。
これは、医療は医師だけのもので、
患者と一緒に治療するという概念が、
無かったという事です。
1981年、
糖尿病患者だった
『園田直』厚生大臣は、
安全性に問題があるとする反対意見に対して、
「日本のメーカーは優秀だから、
必ず安全かつ無痛の自己注射器を開発する。」と言って、
インスリンの自己注射を許可しました。
ちなみに、『園田直』は、痛がりだったので、
注射は、嫌いだったそうです。
インスリンの自己注射の保険適用が認められた事は、
医療は、医師と患者のものという概念を、
国が認めた初めてのケースだそうです。(続く)
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