昔話(90)-糖尿病(30)-バンティング(20)

コイン投げでインスリン発見者の光栄に浴し、
「ラッキーガイ」と呼ばれた『ベスト』は、
恩師『マクラウド』と『バンティング』の板挟みに悩み、
2人と関係ないイギリスのロンドン大学に留学しました。

その後、『マクラウド』の後任として、
トロント大学教授となったそうです。

すると、
『バンティング』卿は、
『ベスト』の台頭を警戒し、

「昔は、自分の助手だったし、
インスリン発見の名誉も与え
ノーベル賞の賞金も折半し、
色々手助けしたのに、

自分の力だけで、ここまで来たような顔をして、
感謝の気持ちが足りない。
生意気だ。」と言うようになりました。

『ベスト』は、『バンティング』卿の事を、

「昔から、彼は、無知なのに偉そうにして、
その上、乱暴で、以前、『バンティング』が、
怒りにまかせて『コリップ』を殴った時、
自分が必死に止めなかったら、
彼は、ノーベル賞どころか、
殺人者として監獄に入っていた。
むしろ、感謝されるのは、自分だ。」と言って、

次第に、2人の関係が険悪化しました。

ちなみに、『バンティング』卿の死まで、
2人の緊張状態が続きましたが、
『バンティング』卿の死後、
『ベスト』は、バンティング&ベスト医学研究所の所長、
そして、カナダ医学研究機関代表に就任しました。

その後、『ベスト』は、肺のヒスタミン分解酵素作用、
コリン代射、ヘパリンの単離、
グルカゴンの作用などの研究で評価され、

夜間視覚の研究で赤色信号が効果的であることを指摘し、
第二次大戦中、日本との海戦で実用されたそうです。

その後、
ノーベル賞的な業績はありませんでしたが、

1967年に、カナダ勲章、大英帝国勲章を受けたそうです。

ちなみに、『ベスト』と一緒にコイン投げをした、
『クラーク・ノーブル』の興味深い話もありますので、
後日…。(続く)
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