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糖尿病(24)-バンティング(14)

『バンティング』たちを、特に激しく抗議したのは、
ルーマニアの『ニコラス・コンスタンチン.・パウレスコ』です。


『パウレスコ』

『バンティング』たちの報告は、
自分の報告内容を引用したもので、
自分こそがインスリンの発見者だと言いました。

『パウレスコ』は、
ルーマニアのブカレストの大学の
生理学の教授をしていました。

1916年に膵エキスの抽出実験により、
血糖降下効果に気付き始めたそうです。

しかし、
ブカレストが戦争でドイツ軍に占領されたため、
研究は中断したそうです。

その後、1920年に研究を再開しました。

そして1921年、
『バンティング』たちのトロント大学の
第一報に先立つ事3ヵ月前に、
『パウレスコ』は、
ルーマニア学会で報告し、
フランスの学会誌にも、
「血糖降下作用のある活性物質の
抽出に関する実験成果」を、
掲載していました。

実際の報告は、『バンディング』たち程、
劇的な物でもなく、
臨床試験もされていませんでしたが、
膵臓抽出物と血糖値の降下の関係性が、
認められたという物でした。

しかし、『ベスト』が、
『パウレスコ』のフランス語の論文を、
「『パウレスコ』の実験は効果がなかった。」と誤訳し、
自分たちの論文に引用してしまったため、
インスリン発見という事から、
『パウレスコ』の名前が、消えたと言われています。

ただし、
『パウレスコ』が、エキスの実用化に成功したのは、
『バンティング』たちの2年後の1924年でした。

そして、
『パウレスコ』は、
「他人の科学的成果を盗むという
憎むべき非行を、許すことは出来ない。」という
言葉を残し、この世を去りました。

確かに、
『パウレスコ』が、フランス語でなく、
英語で論文を発表していれば、
インスリンの第一発見者は、
『パウレスコ』の業績となっていたかも、
しれません。

ちなみに、現在でもルーマニアでは、
『パウレスコ』が、
インスリンの発見者とされていて、

それを、アピールするための切手が、
あります。





他にもや
膵臓を摘出した犬の尿に、
ハエがたかっているのを発見し、
膵臓研究のきっかけをつくった
『ミンコフスキー』は、

ドイツの医師『ゲオルク・ツュルツァー』が、
瀕死の糖尿病患者に、
膵臓の抽出物を注射して、回復させたので、
その業績を認めるべきだと言ったそうです。

他にも、
同様の研究を進めていた研究者が複数いたため、
ノーベル賞受賞に関して抗議が殺到したそうです。

それでも、トロント大学チームが、
ノーベル賞に選ばれた理由として、

『コリップ』が副作用のないインスリンを調整した事、
トロント総合病院での臨床実験が行われ成功した事、
イーライ・リリー社と提携して、インスリンを商品化し、
多くの人命を救った事だと言われています。

ちなみに、
ノーベル賞についての話がありますが、
後日、気が向けば…。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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