昔話(51)(犬-第4話)-藤原氏と陰陽師と天皇(47)

陰陽師の『中原恒盛』が行った「招魂祭」は、
生者に対して行う事は、許可されていましたが、
死者に対して行う事は、許可されていませんでした。

陰陽寮の上官達は、
陰陽道の正式文書等に載っていない、
死者に対して「招魂祭」を行ったのは、
職務行為に反しているのではないか?という事で、
罰に問うかどうかを検討する事になりました。

陰陽師の『中原恒盛』は、
その事を聞いて動揺し、
博学で有名な
明経博士・主計頭『清原頼隆』に相談しました。

すると、
「儒教の聖典である『礼記』、『儀礼』に、
魂の戻し方の「魂喚の修法」が、
記載されているので、
罪に問われない。」と答えたそうです。

『清原頼隆』の発言は、
大きな影響力を持っていたので、
罪に関しては、有耶無耶になったそうです。

しかし、この後、
陰陽師が、死者に対して「招魂祭」を行う事は、
無かったそうです。

ちなみに、
中国の道教では、「招魂祭」は、
死者の霊魂の離散防止のため行われていました。

日本では、「招魂祭」は、
衰弱している生きた人間の活性化のため、
行われていましたが、

戊辰戦争終戦後の1868年に、
明治新政府の
東征大総督『有栖川宮熾仁』親王が、

戦没した官軍将校の「招魂祭」を行ったのを、
きっかけに、

靖国神社(東京招魂社)や
各地の護国神社(招魂社)などで、
「招魂祭」が、死者に対して、
行われるようになりました。

そして、話を戻して、
『藤原道長』の娘『寛子』の臨終の時、
『藤原顕光』と娘『延子』の怨霊が現れ、

「し得たり。今ぞ胸あく。
(意訳:してやったり。
すっきりした。)」と言ったそうです。

その後、
『延子』の怨霊は、
『三条天皇』の中宮で、
『藤原道長』の娘『妍子』の前にも現れ、
『妍子』を、呪い殺しました。

その後、
怨霊から、逃れるため、…(続く)
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