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藤原氏と陰陽師と天皇(43)

陰陽師の『中原恒盛』が行った「招魂祭」は、
生者に対して行う事は、許可されていましたが、
死者に対して行う事は、許可されていませんでした。

陰陽寮の上官達は、
陰陽道の正式文書等に載っていない、
死者に対して「招魂祭」を行ったのは、
職務行為に反しているのではないか?という事で、
罰に問うかどうかを検討する事になりました。

陰陽師の『中原恒盛』は、
その事を聞いて動揺し、
博学で有名な
明経博士・主計頭『清原頼隆』に相談しました。

すると、
「儒教の聖典である『礼記』、『儀礼』に、
魂の戻し方の「魂喚の修法」が、
記載されているので、
罪に問われない。」と答えたそうです。

『清原頼隆』の発言は、
大きな影響力を持っていたので、
罪に関しては、有耶無耶になったそうです。

しかし、この後、
陰陽師が、死者に対して「招魂祭」を行う事は、
無かったそうです。

ちなみに、
中国の道教では、「招魂祭」は、
死者の霊魂の離散防止のため行われていました。

日本では、「招魂祭」は、
衰弱している生きた人間の活性化のため、
行われていましたが、

戊辰戦争終戦後の1868年に、
明治新政府の
東征大総督『有栖川宮熾仁』親王が、

戦没した官軍将校の「招魂祭」を行ったのを、
きっかけに、

靖国神社(東京招魂社)や
各地の護国神社(招魂社)などで、
「招魂祭」が、死者に対して、
行われるようになりました。

そして、話を戻して、
『藤原道長』の娘『寛子』の臨終の時、
『藤原顕光』と娘『延子』の怨霊が現れ、

「し得たり。今ぞ胸あく。
(意訳:してやったり。
すっきりした。)」と言ったそうです。

その後、
『延子』の怨霊は、
『三条天皇』の中宮で、
『藤原道長』の娘『妍子』の前にも現れ、
『妍子』を、呪い殺しました。

その後、
怨霊から、逃れるため、…(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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