昔話(45)-藤原氏と陰陽師と天皇(41)

ある時、
『藤原道長』の六男『藤原長家』は、
大納言兼右大将『藤原実資』との間に、
トラブルが起きました。

そのため、『藤原長家』は、
『藤原実資』の従者の『紀元武』、『高扶明』を、
拉致監禁しようとしました。

しかし、『藤原道長』は、
一流の学識人で、筋を通した態度を貫く
『藤原実資』が、苦手だったので、
もめたくなかったので、仲裁したそうです。

『藤原道長』の子供たちで、
特に、乱暴者として有名なのは、

若い頃の『藤原能信』です。

石清水八幡宮臨時祭の時、

前大和守『藤原景斉』、
祭主『大中臣輔親』、蔵人所雑色『源懐信』、
前加賀守『藤原為盛』、『高階成順』、
前加賀守『源兼澄』たちが、

牛車の中で見物していたそうです。

そこに、『藤原能信』が、来たそうです。

当時、『藤原能信』は、
18歳で、位もそんなに高くはありませんでしたが、

実力者『藤原道長』の息子だったので、

『藤原景斉』が、『藤原能信』に、
「近くで見物をして良いですか?」と聞いたそうです。

当時、偉い人がやって来たら、

場所を譲った後、
一緒に見学する許可をもらい、
その場所を離れないで、
スペースを空けるだけで、
近くで見物することが常識でした。

しかし、『藤原能信』は、
虫の居所が悪かったので、
「何処かへ去れ。」と言って、

従者に命じて、『大中臣輔親』と『源懐信』を、
牛車から引きずり降ろしたそうです。

それを見た多くの人々は、驚いたそうです。

この時代、貴族にとって、
牛車から引きずり出されるというのは、
ものすごい恥辱でした。

さらに、従者に命じて、
牛車に、石を投げはじめました。

そのため、『藤原為盛』と『高階成順』は、
牛車から、走って逃げたそうです。

走って逃げるというのも、
ものすごい恥辱でした。

さらに、従者に命じて、
牛車の中に残っていた『藤原景斉』を、
外へ引きずり出して、
殴る蹴るの暴行を加えたそうです。

それを見て、『藤原能信』は、
笑い転げていました。

この騒ぎで、駆け付けた検非違使により、
『藤原能信』の従者の一人が、逮捕されましたが、

『藤原能信』は、
この事件には無関係と言い続けていると、
実力者の子供なので、
無罪放免になったそうです。(続く)
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