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藤原氏と陰陽師と天皇(26)-亀の恩返し(1)

『花山法皇』の三十三所巡礼のコースは、

現在、
「西国三十三所」と言われています。

ちなみに、「西国三十三所」、「三十三間堂」、
「江戸三十三箇所」、「坂東三十三箇所」、
「坂東三十三観音」などの観音様に関連して、
33という数字が出てきます。

何故、33という数字が使われているかと言うと、、
観音様が世を救済する時、
『菊池としを』先生の漫画「明王伝レイ」のように、
状況に応じて、「 阿弥陀如来」、「梵天」、
「帝釈天」、「毘沙門天」など33の姿に変化し、
人々を救うという事から、
33という数字が使われているそうです。

「西国三十三所」の
二十二番札所の「総持寺(補陀洛山)」は、
大阪の実家の近所にあったので、
歩いて、よくお参りに行っていました。


正門

今も、大阪に帰った時は、
阪急「総持寺」駅と実家の間に、
「総持寺」があるので、
必ず、お参りに行っています。

ただ、家は裏門の方が近いので、
いつも、裏門から入っています。

裏門
裏門


境内

「総持寺」は、
織田信長軍のため、寺が焼失した時、

本尊「十一面千手観音」様の
下半身は焼け焦げましたが、

上半身は焼けずに、
金色に輝いていたそうです。

そのため、「十一面千手観音」様は、
「火防(火除)観音」とも呼ばれています。

その後、
『豊臣秀頼』の命により、
『片桐旦元』が奉行となって再建したそうです。

そして、「総持寺」と言えば、
本尊「十一面千手観音」様にまつわる
『浦島太郎』を思い出させる
亀の恩返しの話が有名です。


亀の上に寺の名前が…。

ちなみに、
後日、『桃太郎』の原典の話をします。

亀の恩返しの話は、
大阪を流れる淀川が舞台です。

秋田に住むようになり、
時々しか大阪に帰らないので、
淀川に行く時間が無いので、
現在の事は知りませんが、
自分が子供の頃、
大阪の淀川河川敷は、牧歌的で、
自転車に乗って、よく行っていました。

そして、友人たちと、釣りではなく、
罠をしかけて、手づかみで、
大きなフナや鯉を捕獲していました。

また、淀川では、
よくラジコン飛行機が飛んでいるのを、
見かけました。

面白そうなので、
いつかはラジコン飛行機を大空に飛ばしたいと、
思っていましたが、
現在は、ラジコン飛行機ではなく、
室内で、ラジコンヘリやドローンを、
狭い部屋で飛ばしています。

淀川河川敷の草むらに寝て、
ヒバリの鳴き声を聞きながら、目を閉じていると、
いつの間にか、
牛に囲まれたこともありました。

ちなみに、
現在は、淀川河川敷には、
牛はいませんが、

1990年頃までは乳牛が放牧されていて、
最盛期には、
100頭以上の乳牛が放牧されていたそうです。

その昔、『藤原高房』が、船に乗って
淀川を下っていると、漁師たちが、
大きな亀を捕らえているのを見たそうです。

『藤原高房』は、
「今日18日は観音様の縁日だから。」と言って、
亀を買い取って、逃がしてやったそうです。

ちなみに、観音様の縁日は、
毎月18日だそうです。

その後、『藤原高房』が、出張している時、
まだ幼かった嫡子『藤原山蔭』が、
淀川に落ちて行方不明との連絡がありました。

『藤原高房』は、急いで、出張より戻り、
『藤原山蔭』を探しましたが、
見つかりませんでした。

『藤原高房』は大いに悲しみ、
「我が子に、亡骸でも良いから会わせて下さい。」と
日頃より信仰している観世音菩薩に祈ったそうです。

すると、(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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