昔話(34)-藤原氏と陰陽師と天皇(30)-亀の恩返し(1)

『花山法皇』の三十三所巡礼のコースは、

現在、
「西国三十三所」と言われています。

ちなみに、「西国三十三所」、「三十三間堂」、
「江戸三十三箇所」、「坂東三十三箇所」、
「坂東三十三観音」などの観音様に関連して、
33という数字が出てきます。

何故、33という数字が使われているかと言うと、、
観音様が世を救済する時、
『菊池としを』先生の漫画「明王伝レイ」のように、
状況に応じて、「 阿弥陀如来」、「梵天」、
「帝釈天」、「毘沙門天」など33の姿に変化し、
人々を救うという事から、
33という数字が使われているそうです。

「西国三十三所」の
二十二番札所の「総持寺(補陀洛山)」は、
大阪の実家の近所にあったので、
歩いて、よくお参りに行っていました。


正門

今も、大阪に帰った時は、
阪急「総持寺」駅と実家の間に、
「総持寺」があるので、
必ず、お参りに行っています。

ただ、家は裏門の方が近いので、
いつも、裏門から入っています。

裏門
裏門


境内

「総持寺」は、
織田信長軍のため、寺が焼失した時、

本尊「十一面千手観音」様の
下半身は焼け焦げましたが、

上半身は焼けずに、
金色に輝いていたそうです。

そのため、「十一面千手観音」様は、
「火防(火除)観音」とも呼ばれています。

その後、
『豊臣秀頼』の命により、
『片桐旦元』が奉行となって再建したそうです。

そして、「総持寺」と言えば、
本尊「十一面千手観音」様にまつわる
『浦島太郎』を思い出させる
亀の恩返しの話が有名です。


亀の上に寺の名前が…。

ちなみに、
後日、『桃太郎』の原典の話をします。

亀の恩返しの話は、
大阪を流れる淀川が舞台です。

秋田に住むようになり、
時々しか大阪に帰らないので、
淀川に行く時間が無いので、
現在の事は知りませんが、
自分が子供の頃、
大阪の淀川河川敷は、牧歌的で、
自転車に乗って、よく行っていました。

そして、友人たちと、釣りではなく、
罠をしかけて、手づかみで、
大きなフナや鯉を捕獲していました。

また、淀川では、
よくラジコン飛行機が飛んでいるのを、
見かけました。

面白そうなので、
いつかはラジコン飛行機を大空に飛ばしたいと、
思っていましたが、
現在は、ラジコン飛行機ではなく、
室内で、ラジコンヘリやドローンを、
狭い部屋で飛ばしています。

淀川河川敷の草むらに寝て、
ヒバリの鳴き声を聞きながら、目を閉じていると、
いつの間にか、
牛に囲まれたこともありました。

ちなみに、
現在は、淀川河川敷には、
牛はいませんが、

1990年頃までは乳牛が放牧されていて、
最盛期には、
100頭以上の乳牛が放牧されていたそうです。

その昔、『藤原高房』が、船に乗って
淀川を下っていると、漁師たちが、
大きな亀を捕らえているのを見たそうです。

『藤原高房』は、
「今日18日は観音様の縁日だから。」と言って、
亀を買い取って、逃がしてやったそうです。

ちなみに、観音様の縁日は、
毎月18日だそうです。

その後、『藤原高房』が、出張している時、
まだ幼かった嫡子『藤原山蔭』が、
淀川に落ちて行方不明との連絡がありました。

『藤原高房』は、急いで、出張より戻り、
『藤原山蔭』を探しましたが、
見つかりませんでした。

『藤原高房』は大いに悲しみ、
「我が子に、亡骸でも良いから会わせて下さい。」と
日頃より信仰している観世音菩薩に祈ったそうです。

すると、(続く)
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