昔話(28)-藤原氏と陰陽師と天皇(24)

皇后宮『定子』は、
『敦康親王』、『媄子内親王』を産みましたが、
その後、、間もなく、
皇后宮『定子』は、崩御されたそうです。

中宮『彰子』は、12歳前後で入内したので、
若い事もあり、なかなか御子を産みませんでした。

そのため、中宮『彰子』に御子が授かるように、
『藤原道長』は、霊場として人気があった、
吉野の「金峯山寺」に御岳詣に行く事にしました。

「金峯山寺」の御岳詣は20-1000日、
肉食を断ち、行いを慎んで、
身を清める精進潔斎をし、
その間、夜明けに、
「金峯山寺」に向かって、
百度の礼拝をするそうです。

「金峯山寺」については、後日詳しく…。

御岳詣の事を聞いた、
『藤原伊周』、『藤原隆家』は、

『藤原道長』の警備が手薄になると考え、

当時、『源頼光』らと共に「天下之一物」と言われ、
勇猛な武将として高く評価されていた『平致頼』を使って、

暗殺しようと計画したそうです。

しかし、失敗に終わったそうです。

『藤原道長』は、無事に「金峯山寺」で、
お経を埋めたそうです。

ちなみに、
「朝家の守護」として有名な『源頼光』は、
『藤原道長』に仕え、
鬼退治などをしましたが、
その話は、後日詳しく…。

『藤原道長』は、
御子が生まれない時の保険として、

中宮『彰子』に、

皇后宮『定子』の子『敦康親王』を育てさせました。

ちなみに、『媄子内親王』は、
祖母の『詮子(東三条院)』の養女になったそうです。

『敦康親王』は、
頭も性格も良く、中宮『彰子』に、
ものすごくなつきました。

しかし、(続く)
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