昔話(22)-藤原氏と陰陽師と天皇(18)

『藤原道長』が頭角を現してきたのは、
『一条天皇』の母で、
『藤原道長』の姉である『詮子』が、
関係していて、

『藤原伊周』の母の
女流歌人として
「女房三十六歌仙」にも選出された
当代きっての才女で、
誇り高かった『高階貴子』の事が、
大嫌いだったからです。

なぜなら、高階一族は、
学者の血筋で、高い教養を持っていましたが、
末流貴族にすぎなかったのに、

『藤原道隆』が、妻の実家の
高階一族を優遇したので、
あっという間に、
上流貴族に仲間入りしました。

エリート意識が強かった『詮子』は、
『藤原伊周』を権力の座につけると、
ますます高階一族が優位に立つと感じ、
藤原一族を第一に考える弟『藤原道長』に、
権力を与えるように息子の『一条天皇』を説得しました。

実は、『一条天皇』は、
中宮『定子』の事が大好きだったので、
その兄『藤原伊周』に権力の座を、
渡そうと考えていました。

しかし、『一条天皇』の母『詮子』は、
それを許しませんでした。

『藤原道長』は、
『藤原道隆』、『藤原道兼』ら兄達の生前時は、
『藤原兼家』の五男という事もあり、
あきらめがあり、権力争いには、関係ない存在で、
周囲からは、
豪快で細かい事に気にしない性格と思われていました。

兄達が死んで、姉『詮子』の力添えもあり、
権力争いに参加するようになりました。

そして、
『藤原道長』の今まで隠れていた
本来の老獪な性格が、出てきました。

そのため、
空白になった権力の座を巡って、
『藤原道隆』の弟『藤原道長』と
『藤原道隆』の長男『藤原伊周』は、
事あるごとに激しく口論したそうです。

そして、
『藤原伊周』の弟『藤原隆家』の従者が、
『藤原道長』の従者と都の大路で乱闘し、
『藤原道長』の随身『秦久忠』が殺害されました。

『藤原道長』は、『藤原隆家』に、
『秦久忠』を殺した犯人を出せと追及しましたが、、
「たかが、喧嘩沙汰の事。」と言って、
全く応じませんでした。

『藤原道長』は、まだ権力が無かったので、
『藤原隆家』の参内を、
事件解決まで停止させると言う事しか出来ませんでした。

その後、事件は、曖昧なまま解決しました。

そのため、『藤原伊周』は、
叔父『藤原道長』には力が無いと軽蔑し、
ますます強気になっていきました。

そして、
「長徳の変(花山院闘乱事件)」が起きました。(続く)
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