昔話(26)-藤原氏と陰陽師と天皇(22)

検非違使の役人たちが、
中宮御所にやって来ました。

中宮という尊位にある女性が、
衆目の前に姿を晒すなど、
常識では考えられない事なので、

御所に乗り込んできた検非違使の役人たちも、
中宮『定子』の姿を見て動揺したそうです。

『藤原隆家』、と『高階信順』は、
そこで捕らえられました。

『藤原伊周』は、外敵や悪疫が侵入することを防ぎ、
火難除けの神『愛宕権現』を祀る
「愛宕神社(阿多古神社)(愛宕さん)」で、
有名な霊山「愛宕山」に逃げました。

ちなみに、
「愛宕山」は、修験道の開祖『役小角』が、
日本一の大天狗『愛宕太郎坊天狗(カグツチ)』に
出会った場所です。

『役小角』は、
藤原氏先祖の『藤原鎌足』の頭痛を、
祈祷で、憑依した狐や生霊の怨みを鎮め、
病を治癒したそうです。

『役小角』については、後日…。

ちなみに、「愛宕神社」は、
総本社は、京都ですが、全国にあり、
『火産霊命』という火の神をを祭っています。

そして、3歳までに参拝すると、
一生火事に遭わないと言われています。

自分は、1回しか行った事ありませんが、
今も人気は、あります。

でも、昔は、もっとにぎやかで、
「お伊勢へ7度 熊野へ3度 
愛宕さんへは月参り。」と言われる位でした。

秋田県の湯沢市に、「愛宕神社」はありますが、
秋田市内では、全く見た事がありませんが、
大阪に住んでいた時、関西地方の色々な所、
特に京都に行くと色々な店で、
「愛宕神社」の火よけのお札「火迺要慎」を、
よく見かけました。

「愛宕山」に逃げ込んだ『藤原伊周』でしたが、
周囲を囲まれ観念し、出家の身となって、
政界からの引退を表明しました。

そして、
中宮『定子』は、自ら鋏を取って髪を下ろし、
出家したそうです。

『藤原道長』は、
中宮『定子』の世話係の中宮大夫を、
務めたこともあるので、
複雑な思いだったと言われています。

この時、中宮『定子』のお腹の中には、
『一条天皇』の御子が宿っていました。

兄弟達が、中宮御所にいる間に、
御子を早く出産し、大赦を行いたいと考えていました。

しかし、ストレスからか、
「懐妊十二月」と言われる程、
むしろ出産が遅れました。

そして、
『脩子内親王』を産んだそうです。

しかし、時すでに遅く、大赦はありませんでした。(続く)
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