昔話(24)-藤原氏と陰陽師と天皇(20)

『藤原道長』の姉の
皇太后『詮子(東三条院)』が病で倒れました。

その頃、『藤原道長』は、『藤原伊周』が、
何か密教の修法を行っていると耳にしました。

『藤原道長』は、いい機会が来たと考え、

「皇太后『詮子』の調子が悪くなったのは、
『藤原伊周』の
呪詛によるものだ。」との噂を流しました。

すると『藤原伊周』が行っていたのは、
『藤原伊周』の妹の中宮『定子』が、
『一条天皇』の御子を妊娠していたので、

安産の為の祈願で、

呪詛ではないという事が、
分かりました。

『藤原道長』は、
中宮『定子』の妊娠を知らなかったので、
ビックリしました。

そして、
中宮『定子』に御子が生まれ、
帝位につくと、自分は出世街道から、
完全に外れてしまうと考え、

事実はどうでもいいから、
この機会に『藤原伊周』を、
何とかしなければいけないと、
かえって焦りました。

幸いにも、
『藤原道長』は、権謀術数が得意だったので、
若くて世間ずれしていない『藤原伊周』を、
陥れるのは、簡単な事でした。

そのため、
『藤原道長』は、主だった人々に根回しして、
『藤原伊周』が、否定できない様な状況にして、

『藤原伊周』が、行っていた祈願は、
「大元帥法」であるという事にして、
改めて噂を流しました。

「大元帥法」は、
「外国からの防衛」あるいは
「敵国降伏」を祈願する呪術で、
天皇だけが、行う事が出来る呪術で、
臣下の者は禁止されていました。

これを勝手に行うものは、
謀反の大罪に値するとされていました。

だから、「大元帥法」をやるという事は、
天皇家への謀反と見なされたそうです。

「大元帥法」については、
長くなるので、後日詳しく…。(続く)
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