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ヒマラヤ山脈(エベレスト)登山ー人と「風の鳥」(3)

人の体は、6500m位より高いところだと、消化吸収が悪くなり、体のエネルギーとして、脂肪より蛋白質が使われるので、筋肉が少なくなり、また、眠っていても、体力が落ちていくそうです。エベレストでは、酸素が薄いので、7000m当たりから、酸素ボンベが必要ですが、酸素ボンベが、約15時間しか持たないそうです。標高8000mを超えると、地上の3分の1程度しか空気がないので、空気を使って揚力を得る仕組みである...

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ヒマラヤ山脈(エベレスト)登山ー人と「風の鳥」(2)

エベレストは、冬は、-40℃の低温と、ジェット気流で、風速30ー40m/秒の強風が吹くので、登山は不可能に近いそうです。季節風(モンスーン)の夏の時期は、確かに、気温は上がるのですが、そうすると雪崩が起きやすい状況になる上、悪天候が続くので、登山には、向かないシーズンだそうです。その前の4月ー5月のプレ・モンスーンか、その後の9月ー10月のポスト・モンスーンに、登山するのが一般的だそうです。しかし、...

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ヒマラヤ山脈(エベレスト)登山ー人と「風の鳥」(1)

1717年、清の『康熙帝』の命令を受けて、イエスズ会のフランス人『ジャン・バティスト・レジス』が、『皇與全覧図』と呼ばれる中国地図を作成した時、現在のエベレストの位置に、山の絵を描き、「朱母郎馬阿林」と表記しました。そして、その地図を、フランスのイエズス会に送ったそうです。そして、イエズス会は、地図製作者『ジャン・バティスト・ブルギニョン・ダンヴィル』に、正確な地図作製を依頼したそうです。そして、...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(8)

1871年、『エドワード・ウィンパー』は、自分に対する批判に対する回答と弁明を兼ね、マッターホルンの体験記を、自分で挿絵を描いた「アルプス登攀記」を書きました。批判も多かったそうですが、大ベストセラーになったそうです。そして、『エドワード・ウィンパー』は、下山直後は、「『タウクヴァルター』父子に、責任はない。」と言っていたのが、時間がたつと次第に意見が変わり、「下山の詳細をあえて述べようとは思わな...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(7)

下山直後、『エドワード・ウィンパー』は、「たった一歩足を滑らせたこと、一歩誤ったところに足を運んだことが、この悲惨な状況全ての原因だった。『タウクヴァルター』父子に、責任はない。」と言いました。そして、捜索隊により、『フランシス・ダグラス』卿以外の3人の遺体が発見され、収容されました。『エドワード・ウィンパー』と『タウクヴァルター』父子は、3日間連続で、犠牲者の捜索に参加したにもかかわらず、「自分...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(6)

大惨事の後、『エドワード・ウィンパー』たち3人は、30分以上放心状態だったのですが、落ち着いてから、午後6時に足場の安全な場所まで降りたそうです。その時、突然、3人の前に、巨大な半円が現れ、十字架が現れたそうです。そのため、3人は、ビックリして、しばらく十字架を眺めていました。『エドワード・ウィンパー』が描いた十字架『エドワード・ウィンパー』は、雲粒や霧粒によって光が散乱され、自分の影が雲やガスの...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(5)

ベテランガイド『ミシェル・クロ』を先頭に、2番目に経験不足の『ダグラス・ロバート・ハドウ』、3番目に『チャールズ・ハドソン』牧師、4番目に『フランシス・ダグラス』卿、5番目にガイド『ペーター・タウクヴァルター・シニア』、6番目に『エドワード・ウィンパー』、最後にガイド『ペーター・タウクヴァルダー・ジュニア』の順番で、ロープを繋ぎ、下山することにしました。そして、『エドワード・ウィンパー』が、山頂で...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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