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マタギから聞いた話(19)-誰もいない部屋

マタギの語り部でもあるシカリのSさん親子から聞いた話を続けます。マタギのFさんが、猟をするために、山に入ったそうです。その年は、天候不順や台風などの影響で、作物などが不作だったせいか、その時は、獲物がいなかったので、普段はいらないような山奥に、どんどん入っていきました。しかし、猛吹雪となったので、どこかで休みたいと思い、周囲を見渡すと、炭焼き小屋らしきものが、ありました。小屋からは明かりが漏れてきて...

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マタギから聞いた話(18)-細い手

マタギの語り部でもあるシカリのSさん親子から聞いた話を続けます。ある寒い冬の夜、Kさんが、山で道に迷いました。長時間歩いて、ようやく、一軒の家に、たどり着きました。家のドアを叩くと、1人の男性が出て来ました。Kさんは、男性に、寒かったし、歩き疲れていたので、一晩泊めてもらうように頼みました。しかし、男性は、「今日、女房が亡くなって、取り込んでいるので、もう少し行くと集落があるので、そこで頼んでもらえ...

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マタギから聞いた話(17)-山奥の巨大な石の建築物

マタギの語り部でもあるシカリのSさん親子から聞いた話を続けます。「迷い家」は、新聞に載ったことがあります。ある時、岐阜県白川村の笈ヶ岳で、マタギのAさんが、クマを追ったそうです。もう少しというところで逃げられ、気が付くと、かなり山深くまで入り込み、何十年も山に入っているので、ほとんどの山の事は、知っているつもりでいたが、来たことがない所まで来ていました。そして、彷徨っていると、突然、目の前に巨大な石...

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マタギから聞いた話(16)-もう少し

山岳でのスキー利用の先駆者で、備中松山藩主の子『板倉勝宣』と、日本山岳会設立者で、新潟県の士族の『槇有恒』と、第11代日本山岳会会長で、慶応義塾大学山岳部創設メンバー『三田幸夫』が、案内人と一緒に、立山松尾峠に、登山した時、板倉たちが、最先端のスキーを使用したので、案内人らとの移動速度に差がついてしまい、かなり離れてしました。その上、猛吹雪に見舞われ、遭難したそうです。その時の『三田幸夫』の手記を読...

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マタギから聞いた話(15)-肝試し

マタギの語り部でもあるシカリのSさん親子から聞いた話を続けます。マタギのSさんが、子供の頃、子供会主催の恒例だった、真夏の夜の肝試しに参加したそうです。大人たちから怖い話を聞いた後、10分位で行ける山の祠に行き、祠に置いてある印を取ってくる事になったそうです。Sさんは、懐中電灯を持ち、目的地の祠に向かい、山道を歩ていると、突然、突風が吹いて来たので、手で目を覆うと、わき腹をドンと何かに突かれ、思わず...

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マタギから聞いた話(14)-出店

マタギの語り部でもあるシカリのSさん親子から聞いた話を続けます。秋田の阿仁に住むEさんが中学生の頃、阿仁は、そんなに街灯もなく、暗い道が多かったそうです。ある時、Eさんが、部活で遅くなり、暗い夜道を歩いて、帰宅していた時、いつもは暗い道なのに、ぼーっと灯りが見えて来たそうです。その灯りの中に、数件の出店がありました。Eさんは、祭りだったか!思い、寄り道しようと思いました。そして、近づいて行くと、ぱ...

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マタギから聞いた話(13)-家

マタギの語り部でもあるシカリのSさん親子から聞いた話を続けます。山菜を取るために山道に入ったMさんでしたが、気が付くと、あたりが暗くなり、疲れて来たので、何処かに休む所がないか?と思いましたが、何もなかったそうです。野宿になるかもと思い、歩いていると、少し離れた所に、家の灯りが見えました。可能なら、あの民家で、少し休ましてもらおうと思いながら、灯りのついた家に向かいました。しかし、近づこうとしても...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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