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記事一覧

糞尿の話(15)-糞便利用(2)

漢方薬では、人や動物の糞便が、「人中黄」など、薬の原料として、使用される事があります。中国の本草書「新修本草」や「本草綱目」、日本の「本草和名」、「和名抄」、「多識編」には、便を、蛇に咬まれた時や痘瘡(天然痘)、鼻血、子宮脱などに用いると書かれています。漢方の「人中黄」は、解熱や解毒作用があるとされ、その製造方法は、人の便と甘草の粉末を混ぜた物を竹の筒に詰めて、地中に埋め、夏に取り出して天日乾燥さ...

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糞尿の話(14)-糞便利用(1)

罪のために餓鬼道に落ち、「食糞餓鬼」になり、人の便を食べるようになるかもしれませんが、糞便を利用することがあり、糞便も、捨てたものではありません。ちなみに、古代エジプトでは、避妊するために、ワニの糞と蜂蜜と天然炭酸ソーダを混ぜたものを、膣に入れ、精子の進入を防いだそうです。日本では、シカなど野生の草食獣が、ライオンの糞の臭いを嫌うため、農作物などの被害を減らすために、忌避剤としての研究が行われてい...

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糞尿の話(13)-餓鬼(3)

「餓鬼に取り憑かれた(餓鬼憑き)」時に行う、「施餓鬼会(施食会)」という法会は、地域や宗派により異なり、本来、「施餓鬼会」の期日は定められていませんが、通常、7月15日あるいは、8月15日頃に行われる事が多いそうです。しかし、必要であれば、毎日、行われるそうです。その方法は、施餓鬼壇や供養壇、地蔵菩薩に、五如来の「施餓鬼幡」を立てて、「三界万霊」と書いた位牌や初盆の戒名を記した位牌を安置し、浄水や...

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糞尿の話(12)-餓鬼(2)

『阿難尊者』は、『お釈迦さま』の身の回りの世話を、25年間していたので、一番多くの教えを聞き、覚えていたので、『多聞第一』と呼ばれていたそうです。ちなみに、『お釈迦さま』の教えが書いてある経典の冒頭に、よく出てくる「如是我聞」の意味は、「私は、『お釈迦さま』から、聞いた。」という意味ですが、この「私」は、ほとんどが、『阿難尊者』の事だそうです。ある時、『お釈迦さま』の育ての親である養母『摩訶波闍波...

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糞尿の話(11)-餓鬼(1)

仏教では、36種類の餓鬼がいて、その中で、数種類の餓鬼が、便を食べるそうです。まずは、「食糞餓鬼」。生前、ケチで、布施を行わなかったり、出家した人に対して、汚れた食べ物を与えた人は、死後、人の排出した便を食う「食糞餓鬼」になるそうです。排便直後の便を食べようとして集まって来た「食糞餓鬼」次に、「伺便餓鬼」。生前、人の財産を奪うなどの略奪行為を行った人間が、死後、人の排出した便を食う「伺便餓鬼」にな...

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糞尿の話(10)-便所(4)

1955年頃に、現在の水洗トイレが登場し、徐々に一般家庭へと普及するようになったそうです。ちなみに、イギリスで、初めての水洗トイレは、1596年、宮廷詩人『Sir John Harrington』が、自分の荘園に設置したものと言われています。このトイレは、魚の泳いでいる水槽から水を、便座の上にある貯水容器に水を貯めた後、便座のハンドルを引っ張ってバルブを開くと、糞尿が汚水溜めに流れ落ちるという仕組みでした。『Sir Joh...

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糞尿の話(9)-便所(3)

平安時代の後期には、「くみ取り式便所」が登場しました。鎌倉時代、糞尿が、堆肥として利用が始まり、くみ取り式のトイレが普及して、糞尿の臭いが町から少なくなりました。 中国、台湾、朝鮮、モンゴル、日本などの東アジアで、人糞を肥料として用いたことが確認される最初の例は、鎌倉時代の日本だそうです。江戸時代になると、人糞を肥料として、効率的に利用していたので、街は臭くありませんでした。人糞を肥料として用いるの...

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糞尿の話(8)-便所(2)

日本のトイレ(便所)は、縄文時代より、川に板を張り出し、その上で排泄し、陶器のかけらで、お尻を拭いて、川に流すというものでした。飛鳥時代、川を屋内に引き込み、排泄し、木片でお尻を拭いたそうです。ちなみに、1119年、『源師時』の日記「長秋記」に、紙でお尻を拭いたとの記録がありますが、当時は紙は高価だったので、一部のお金持ちしか使えませんでした。ほとんどの人は排泄後、当時、紙(トイレットペーパー)が...

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糞尿の話(7)-香水

中世ヨーロッパでは、糞尿だけではなく、色々な汚物の悪臭が、街全体に漂っていました。そのため、臭いをごまかすため、ハーブや香料そして、香水が発達していったそうです。ちなみに、名前がわかっている最古の調香師は、『Tapputi Belatekallim(タップティ)』という古代メソポタミアの女性だそうです。 楔形文字の粘土板に、花のオイルや樹脂を使った香水の製造方法が、記録されているそうです。ちなみに、ギリシアのキプロス...

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糞尿の話(6)

中世のフランスの水道は、週3回、7時間だけ水が使えるだけで、毎日、24時間、水が使えるわけではなかったそうです。そのため、当時、月1回洗濯できれば良い方で、衣類の生乾きや部屋干しの臭いどころか、服にカビが生えて、服がカビ臭で臭いのは、当たり前だったそうです。また、街や服が臭うだけではなく、ほとんどの人が、お風呂やシャワーを、利用しなかったため、体臭などの臭いもひどかったそうです。何故なら、フランス...

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糞尿の話(5)

12世紀のパリでは、生ゴミなど汚物対策として、およそ半分の世帯がブタを飼い、放し飼いにしていました。何故なら、ブタは、街中にある汚物を、水槽におけるコリドラスやヌマエビの様に、片端から平らげて掃除?してくれるので、その結果、コストがかからず、ブタは丸々と太り、その後、食卓にのぼるという、一石二鳥の利用価値があったからです。ところが、事件が起きました。1131年、馬に乗った『フィリップ皇太子』と従者...

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糞尿の話(4)

フランスやイギリス、イタリアやドイツなどの中世ヨーロッパでは、古代ローマのトイレ文化は、継承されることなく、衛生観念が失われ、下水道が普及していなかったので、ほとんどの人が、「オマル」で用を足していたそうです。中世のパリでは、1395年に、法で禁止されるまで、「Gardez l'eau!(グワデー・ルー)(水に、ご注意!)」と三回叫びさえすれば、窓から糞尿などを捨てても良かったそうです。ちなみに、汚いものを外...

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糞尿の話(3)-世界最古のトイレ-便所(1)

トイレの歴史は古く、世界最古のトイレ(便所)は、紀元前2200年頃の古代メソポタミアの都市エシュヌンナ(現在のイラク)のテル・アスマル遺跡から見つかったものだそうです。テル・アスマル遺跡のトイレは、煉瓦を「コ」の字状の椅子形に積み上げた便器が設けられた腰掛け式の水洗式トイレで、6ヶ所のトイレ、5ヶ所の浴室が見つかっているそうです。世界最古のトイレは、椅子の穴から下の溝に排泄し、溝を通って、汚物を集...

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糞尿の話(2)

最近、映画「超高速!参勤交代」を見ましたが、江戸時代の参勤交代は、藩主を1年おきに、江戸と国元を往復させ、幕府への忠誠を示させる制度です。藩としても、権威と忠誠心の大きさを示すため、また体面を地味にはしたくない思惑も重なり、豪勢な大名行列を作り上げて、江戸へと馳せ参じていました。しかし、参勤交代1回の諸経費全て合計すると、なんと…、約7億円と莫大な費用がかかるので、財政的に厳しい藩にとっては大きな負...

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糞尿の話(1)

『遠山の金さん』の時代劇を見ていると、長い長い長袴をはいていますが、排尿する度に脱ぐのは、大変だと思うでしょうが、実は、竹や銅で作られた長さ1m位の筒状の「尿筒」、「装束筒」を、長袴の裾に差し込み、そこに放尿したそうです。ちなみに、江戸時代には、朝夕に公務を果たす人という事が由来の「公人朝夕人」という役職の人が、将軍など高貴な人が、公的行事の時に着る第一礼装の「束帯」を着ている時に、排尿する際、「...

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時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(5)

『遠山の金さん』こと、『遠山金四郎景元』は、1793年生まれの実在の人物です。『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』の父『遠山金四郎景晋』は、『永井筑前守直令』の四男で、幕府の「昌平坂学問所」を、トップで卒業した秀才でした。でも、永井家の四男なので、永井家の家督を継げないので、後継ぎのいなかった名家の『遠山景好』の養子になりました。しかし、養子入りし、家督嫁いだ後、養父『遠山景好』に実子『遠山景善』が...

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時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(4)

1846年、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』以来、長谷川家は、同じ家に住んでいましたが、孫『長谷川平蔵宣昭』の時、引越ししたそうです。ちなみに、長谷川家の当主は、代々『長谷川平蔵』という通称を受け継いだそうです。孫『長谷川平蔵宣昭』は、4代目だそうです。そして、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』が住んでいた屋敷に、新しく引越して来たのはなんと、時代劇では、『鬼平』と並んで有名な『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』...

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時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(3)

『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、「罪人を捕縛するだけでなく、罪人を生み出さないようにする事が大切。」と考え、犯罪者に手に職を与え、訓練する更正施設「石川島人足寄場」を、幕府に献言しました。幕府はこれを認め、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、人足寄場の責任者も兼任することとなりました。そして、人足寄場では、技術だけでなく、道徳教育も行なわれ、人足寄場の設置以来、犯罪者の数は減ったそうです。そして、『鬼平(...

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時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(2)

『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、関東から奥州にかけて、悪行の限りを尽くし、歯向かう者は切り殺し、数百箇所も夜盗した広域強盗団で、剣術・神道流の達人で、約800人の配下がいた『神道徳次郎(真刀徳次郎)(神稲小僧)』一味を、一網打尽にし、処刑したり、徳川家の家紋「葵の御紋」をつけた提灯を掲げて、商家に押込強盗を行い、押込先の婦女を必ず強姦するという凶悪な手口で、江戸中を荒らしまわった『桐野谷芳之助(葵小...

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時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(1)

「鬼平犯科帳」の主人公『鬼平』こと『長谷川平蔵宣以(銕三郎)(銕次郎)』は、1745年に東京で生まれた実在の人物です。『鬼平(長谷川平蔵宣以)』の父『長谷川平蔵宣雄』は、優秀な人物で、江戸で、「火付盗賊改」をしていました。1772年、死者約1万4千人と言われている、江戸三大大火の1つ「明和の大火」と呼ばれる大火事が起きました。そして、父『長谷川平蔵宣雄』は、その犯人『無頼漢長五郎(真秀)』を捕縛し...

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『井伊直孝』の犬

招き猫で有名な、『井伊直孝』は、犬の話もあります。『井伊直孝』は、井伊家の家老『庵原主税助』が手柄を立てたので、褒美として自分の愛犬を、「この犬は非常に忠実な犬だ。可愛がればなつくので、大事に育ててくれ。」と言って、与えたそうです。そして、『庵原主税助』は、その犬を大切に育てたそうです。その後しばらくして、『井伊直孝』は、久しぶりに元自分の愛犬に会いたいと思い、用事もあったので、『庵原主税助』宅を...

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井伊直孝とひこにゃん

滋賀県彦根市のゆるキャラの『ひこにゃん』のモデルは、招き猫だそうです。 招き猫の由来はいろいろありますが、そのうちの一つは、東京都世田谷区の「豪徳寺」だと言われています。江戸時代、彦根藩2代目藩主『井伊直孝』が、鷹狩りの帰り、小雨が降ってきたので、木の下で、雨宿りをしていたそうです。すると、そこへ、1匹の白い猫が来て、手招きをする様な仕草をしたので、気になって、行って見ると、白い猫はそのまま、近所...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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