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『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(1)

TV『水戸黄門』のモデル『徳川光圀』は、水戸藩の第2代藩主ですが、水戸徳川家の初代『徳川頼房』の三男でした。『徳川光圀』の母は、『谷重則』の娘『久子(お久)(久昌院)』ですが、正妻でもなく、正式な側室ではなかったそうです。『お久』の母親が、大奥女中を務めていたので、一緒に連れられて、城に出入りするうちに、『徳川頼房』に気に入られて、『徳川光圀』の兄『松平頼重』を懐妊しました。当時、水戸徳川家では、正...

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光る動物(33)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(26)-『伯夷』、『叔斉』

「殷」の諸侯『墨胎』が治める「孤竹国」の王子は、3人兄弟でした。ある時、父王が死んだ時、長男『伯夷』をさしおいて、三男『叔斉』に位を譲るとの遺言でした。『伯夷』は遺言に従って、弟『叔斉』に王位を継がせようとしました。しかし、『叔斉』は、兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、あくまで兄に位を継がそうとしましたが、「それでは、父の意思に背く。」と言って、お互いに譲り合い、話がまとまらないので、『伯夷...

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クリスマス

クリスマスの定番と言えば、イチゴショートケーキと思っていましたが、欧米では違います。オーストラリアでは、イチゴショートケーキではなく、ドライフルーツがたくさん入ったパンケーキみたいなクリスマスプディングを食べるそうです。アメリカでは、クリスマスの食べ物と言えば、ケーキではなく、七面鳥だそうです。アメリカで、クリスマスに、七面鳥を食べる理由は、17世紀、ヨーロッパからアメリカへ大量の移民が移り住んだ...

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光る動物(32)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(25)-蜚廉から風伯へ(17)

『紂王』が負傷して、宮殿に戻って来ました。宮殿の警護に当たっていた『飛廉』とその子『悪来』が、『紂王』に声をかけると、「戦況は最悪で、もう少しで「殷」が終わる。」と言いました。そのため、『飛廉』とその子『悪来』が、「最後まで戦って、王朝の意地を見せつけましょう。」と勇気づけたそうです。そして、『悪来』は、「余裕を持ちましょう。」と言って、「将棋」や「双六」の起源である「六博」の盤を持ち出して来て、...

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光る動物(31)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(24)-蜚廉から風伯へ(16)

殷軍の兵士数は、約70万という大軍でしたが、周軍の兵士数は、約40万だったそうです。しかし、周軍は数の上では、確かに劣勢でしたが、『発』は、今まで調略を行っていたので、内応者が多数いたし、神官や、殷に服属している嫌々ながら参加している属国の兵士たちが、殆どだったので、周軍を見るや否や、次々に殷軍から周軍に寝返りました。そして、賄賂が好きだった宦官『費仲』は、戦いの中、助命の為、周軍に賄賂を渡しまし...

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光る動物(30)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(23)-蜚廉から風伯へ(15)

『発』が、「殷」に向けて進攻するため、孟津という港から黄河を渡ろうとした時、雷雨と暴風に邪魔されて、河を渡ることが出来なかったそうです。すると、『発』は、黄河の神に、「天命は既に下ったのだ。どうしてわたしの邪魔をするのか!」と一喝すると、雨と風が嵐がおさまり、河を渡る事が出来たそうです。その時、船の中に白魚が、飛び込んできたそうです。『発』は、白は殷のシンボルカラーなので、殷が、自ら自分の手元に、...

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光る動物(29)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(22)-蜚廉から風伯へ(14)

「周」を継いだ『発』は、兄『伯邑考』が、『紂王』に、殺され、干し肉にされた事を恨みに思っていて、機会を見て、必ず復讐しようと思っていました。そして、『発』は、軍師『呂尚(太公望)』のアドバイスもあり、『紂王』の「殷」に、決戦を挑む事にしました。『呂尚(太公望)』は、これで、ようやく、大きな動乱が起き、沢山の大物の魂を集める事が出来ると思うと、身震いが起きました。『発』の率いる周軍は、軍師『呂尚(太...

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光る動物(28)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(21)-蜚廉から風伯へ(13)

そして、『姫昌』は、軍師『呂尚(太公望)』のアドバイスにより、北方遊牧民族の「犬戎」や諸侯国の「邗」を征伐しました。すると、以前、『紂王(帝辛)』に、『姫昌』の事を密告した宿敵『祟候虎(崇侯虎)』は、その情報を聞いてからすぐに、『紂王(帝辛)』に、『姫昌』が反乱を起こしているので、討伐して欲しいと伝言ましたが、伝言が届く前に、宿敵『祟候虎(崇侯虎)』は、討伐されました。ちなみに、『祟候虎(崇侯虎)...

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光る動物(27)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(20)-蜚廉から風伯へ(12)

ある時、最高神『元始天尊』は、仙界に仙人が多くなり、窮屈になり、落ち着かなくなってきたので、宇宙再編成計画の封神計画を考えました。それは、「上級の仙人」が、高度な仕事をするには、心に余裕が必要なので、高級リゾートの様に、「仙界」を余裕ある空間にするため、「仙界」と「人間界」の間に「神界」と言う世界を創り、「下級の仙人」と「人間離れした人間」を、「神」にして、「神界」に移住させて、新しい安定した世の...

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光る動物(26)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(19)-蜚廉から風伯へ(11)

ある日、『姫昌』が、狩りをしに行く前に、気まぐれに、占い師に、「狩りの成果を占ってくれるか。」と聞きました。すると、占い師は、「今回の収穫は、鳥獣をではなく、人材でしょう。」と言いました。『姫昌』は、面白い事と言って、狩りに出かけると、河で老人が、釣りをしている姿を目にしました。しかし、近寄ってみると、返しの無い真っ直ぐな針に餌もつけず、それどころか、針は着水するどころか、水面の数cm上の所に針が...

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光る動物(25)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(18)-蜚廉から風伯へ(10)

『姫昌』は、自国に戻ってから、仁政を施していたので、次第に、『姫昌』が統治している「周」に、人々が集まって来ました。また、近隣の国同士で、揉め事が起きると、『姫昌』に、調停を頼みに来る諸侯もいました。ある時、「虞国」の君主と「芮国」の君主が、『姫昌』に、揉め事を調停してもらうため、やって来ました。「虞国」の君主と「芮国」の君主は、それぞれ別々に、『姫昌』が統治している「周」を通って来たのですが、そ...

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光る動物(24)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(17)-蜚廉から風伯へ(9)

『紂王』の叔父に、高い学識や人徳、深い信仰を持ち、慈悲深く、聖人と呼ばれる『比干』がいました。ある時、『比干』は、「国力が落ちている今、悪い習慣は立ち切らなければいけません。臣下たる者は、命をかけて、諫言しなければならないので、あえて言います。「炮烙の刑」と言う残酷な刑罰を見て、国民は嫌悪感を抱いています。また、現在、兵力が十分と言えないのに、そのような刑で、無駄に国民が死亡すると、兵力が落ちます...

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光る動物(23)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(16)-蜚廉から風伯へ(8)

『崇侯虎』の讒言で、干し肉にされた『仇侯』の子『秀』と干し肉にされた『鄂侯』の子『禹』は、諸侯と盟約を結んで、東方で反乱を起こしたそうです。『紂王』は、自分に逆らうとどうなるかを知らせると言って、自らも加わり、遠征に向かったそうです。しかし、抵抗は激しかったので、何度も遠征を行ったそうです。その結果、軍費が増大し、死人も多く出て、国内には、厭戦気分が蔓延しました。『紂王』の兄『微子啓』は、穏やかな...

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光る動物(22)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(15)-蜚廉から風伯へ(7)

『姫昌』の長男『伯邑考』は、幽閉された父『姫昌』を解放してもらうため、家宝三点を土産に、『紂王』の元に訪れました。そして、得意の琴で、『紂王』を感動させると、『紂王』は、『姫昌』の罪を許すと言いました。その夜、『伯邑考』は、良かったと安心して、休んでいると、『妲己』が来て、誘惑してきました。しかし、『伯邑考』は、きっぱりと誘惑を断ったため、『妲己』は、辱めを受けたと言って、逆恨みしました。そして、...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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