日露戦争(19)

日露戦争の結果は、日本の勝利となりましたが、弱小国の日本により、世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊が、壊滅するという予想もしなかった海戦の結果は、欧米諸国を驚愕させました。ちなみに、イギリスは日本海軍の勝因を詳細に研究した結果、軍艦の根本的な作り直しが必要になったそうです。そして、大砲を鋼鉄で囲んで動かして撃つ「砲塔」という概念が出きたそうです。その「砲塔」のため戦艦が巨大化し、弩級(ド級)...

日露戦争(18)-不思議な話(4)

315年頃、『日本武尊』が、東夷征伐の途中に、「矢作川の東側の高石山に、賊が住みつき、人々を苦しめている。」と聞きました。『日本武尊』は、賊の退治を行うため、矢を作る職人である矢作部たちに、矢を作るよう命じました。矢を作るための竹は、川の中州にありましたが、川の流れが速く、矢作部たちは、竹の生えている中州まで、行けませんでした。そこへ1匹の蝶が現れ人の姿となり、竹を切り取ってきたそうです。矢作部た...

日露戦争(17)-不思議な話(3)

1919年頃、筑摩型防護巡洋艦「矢矧」で、元軍人Kさんが体験した話です。Kさんは、砲術士を命じられました。鑑内を調べると使えそうな予備室があったので、副長に、「事務もあるので、自分用の部屋として、使用したい。」と、許可をもらいに行ったそうです。すると、副長から、「次室士官のくせに、ハンモックで十分だ。」と怒られました。しかし、Kさんは、バレないと思い、黙って予備室に忍び込み、荷物を運んで、勝手にその...

日露戦争(16)-不思議な話(2)

1959年の映画『海軍兵学校物語 あゝ江田島』に、うわさ話として出てきた心霊話があります。その、うわさ話の元になった話は、海軍士官の養成学校の江田島海軍兵学校の生徒だったAさんの体験談です。ある夜、Aさんは、上級生に生意気だと難癖をつけられて、御殿山を、10周、駆け足で回ってこいと言われました。当時、良くない事でしたが、上級生から理不尽な懲罰を受け、上からの命令は、絶対服従が、海軍兵学校の伝統でした...

日露戦争(15)-不思議な話(1)

『柳田国男』の「遠野物語拾遺」によると、日露戦争の時、陸上戦で、不思議な事があったそうです。ロシアの捕虜の数人が、「日本兵で、黒服を着ている兵隊を射てば、倒れたが、赤服や白服の兵隊は、いくら射っても倒れなかった。何故、倒れなかったのか?」と聞いてきたそうです。しかし、「ほとんどの日本兵は、基本、黒服なので、夏服の白服を着た日本兵やましてや赤い服を着た兵士は、珍しい。」とのこと。白い服と言えば、出雲...

日露戦争(14)-ロジェストヴェンスキー(5)

『ロジェストヴェンスキー』は、ロシアに戻ってすぐに、大将に昇進しました。その後、1906年に、日露戦争に関する軍法会議が開かれました。その時、『ロジェストヴェンスキー』は、「敗戦の責任は自分にある。自分と『ネボガトフ』だけを訴追すればいい。」と発言しましたが、戦闘中に重傷を負い指揮権を持っていなかったとして、少将に降格されただけでした。その代わり、『ロジェストヴェンスキー』が倒れた後、全軍の指揮を...

日露戦争(13)-ロジェストヴェンスキー(4)

捕虜となった『ロジェストヴェンスキー』は、佐世保の海軍病院に入院しました。1905年6月、『東郷』が、軍服ではなく、白いシャツという平服姿で見舞いに訪れました。病室に入ると、『ロジェストヴェンスキー』を見下ろす形にならないよう、枕元の椅子にこしかけ、顔を近づけて、状態を気づかいながら、日頃は、極端な寡黙で知られる『東郷』が、周囲の将校が驚くほど、饒舌に話し始めました。「我々軍人が、たとえ負けたから...

日露戦争(12)-ロジェストヴェンスキー(3)

日露戦争開戦当初、『塚本克熊』中尉は、古い掃海艇で、機雷の排除を行っていました。しかし、その艦が触雷して、沈没したので、旗艦「三笠」に収容されたそうです。「三笠」で、『塚本』は、『東郷』と顔見知りになり、日本では、『東郷』しか持っていない、艦の据付望遠鏡を超える高倍率のドイツのカール・ツァイス社の双眼鏡に、興味があると話したところ、『東郷』は、こころよく双眼鏡を、貸してくれました。そして、『塚本』...

日露戦争(11)-ロジェストヴェンスキー(2)

旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」で指揮をとっていた司令長官『ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー』は、戦いが始まってから約30分で、『東郷平八郎』司令長官が率いる日本艦隊の集中砲火を浴び、司令長官『ロジェストヴェンスキー』は、右肩骨折、右足踵の動脈切断という重傷を負い、全身血まみれで、顎髭も半分焼けて、ボロボロになりました。駆逐艦「ベドーヴイ」は、旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」に近づ...

日露戦争(10)

日露戦争時、日本艦隊は、海軍の『宮原二郎』が発明した、蒸気タービンエンジンの動力の源の「宮原式水管汽罐(ボイラー)」と言う当時、世界最速のエンジンを取り付けていました。「宮原式水管汽罐」は、価格が、当時の世界標準の半分以下で、給水・掃除が容易で、耐久性に富み、燃費がよく、小型でありながら高馬力であるというものでした。日露戦争の勝利には、「宮原式水管汽罐」により、日本海軍の機動性が、良くなったことも...