昔話(145)-高峰譲吉(14)-アドレナリン(1)

1895年に、『ナポレオン・キブルスキー』によって、動物の副腎から、血圧を上げる効果のある物質を抽出しました。「nadnerczyna」と名付けましたが、これは、「アドレナリン」以外に、その他のカテコールアミンも含まれていました。1900年に、『高峰譲吉』と助手の『上中啓三』は、シカゴにある食肉処理場から、廃棄されるウシの副腎から「アドレナリン」を発見し、1901年に、『上中啓三』が、世界で初めて結晶化に成...

昔話(144)-高峰譲吉(13)-タカヂアスターゼ(5)

1902年、『高峰譲吉』が、アメリカから日本へ一時帰国した時、神戸港大桟橋に接岸した客船ハンブルク号で、横浜へ向う間、『塩原又策』と初めて、直接、話をしました。航海中、『塩原又策』は、「タカヂアスターゼ」の効果に驚いた事、良い商品を任せてもらって、とても感謝している事、販売ルートを拡売するために行った、取り扱う薬局を増やすための飛び込みセールス、色々なプロモーション活動、医家への働きかけなど、話は...

昔話(143)-高峰譲吉(12)-タカヂアスターゼ(4)

1899年に、第1回万国商業大会に、日本代表として出席した『大谷嘉兵衛』は、アメリカ合衆国大統領『ウィリアム・マッキンリー 』と面会し、日本茶への高い関税についての撤廃を陳情し、太平洋の海底に電話線を引くことを提案すると、参加者の万雷の拍手を受け、アメりカの新聞に大きく報じられました。そして、日本のみならず、アメリカでも有名人になった『大谷嘉兵衛』は、『高峰譲吉』を訪ね、「自分の所で修行した『塩原...

昔話(142)-高峰譲吉(11)-タカヂアスターゼ(3)

『塩原又策』は、船舶給水業や貸地貸家業を行う事業家『塩原又市』の子供として、1877年、横浜に生まれました。父『塩原又市』と製茶販売商で、「茶の大谷」として広く知られた『大谷嘉兵衛』は友人関係でした。そして、『塩原又策』は、『大谷嘉兵衛』の「日本製茶会社」で、実務の手ほどきをうけ、 その後、1897年、『大谷嘉兵衛』と父が共同出資し、設立した「横浜絹物会社」で、取締役支配人になりました。 1897年...

昔話(141)-高峰譲吉(10)-タカヂアスターゼ(2)

「パーク・デービス(現 ファイザー)」社は、「タカヂアスターゼ」の事を知りましたが、黄色人種の日本の技術を見下していました。しかし、『高峰譲吉』のつくった「タカヂアスターゼ」の効果を調査した結果、従来の物に比べて約20倍も効果があったので、「パーク・デービス」社の社員たちは、ものすごく驚きました。そして、1897年、デトロイトに本社をおく「パーク・デービス」社から、『高峰譲吉』に、「タカヂアスター...

昔話(140)-高峰譲吉(9)-タカヂアスターゼ(1)

『高峰譲吉』は、命が助かった後、他の入院患者と雑談していると、食後の消化不良で困っている人が、沢山る事を知りました。日本では、昔から、「お餅を大根おろしで食べると消化が良い。大根おろしに医者いらず。」と言われている事が、日本にいた時から、気になっていて、時々、何か理由があるのでは?と色々と考える事がありました。そして、『高峰譲吉』は、病院で療養しながら、落ちついて、ゆっくりとした時間が流れる中、忙...

昔話(139)-高峰譲吉(8)-麹(6)

モルト工場の関係者たちは、銃で武装して、『高峰譲吉』の家に、侵入しました。『高峰譲吉』の家族全員は、危険を察知し、地下室の隠し部屋に、潜んでいました。モルト工場の関係者たちは、家じゅう探し回りましたが、『高峰譲吉』たちを見つけられなかったので、家と研究施設に火を放って、全焼させました。『高峰譲吉』たちは、命からがら逃げだし、自分たちの家が焼けるのを、呆然と見ていました。その後、「ウィスキートラスト...

昔話(138)-高峰譲吉(7)-麹(5)

渡米した後、『高峰譲吉』と『藤木幸助』は、米麹を使ったウイスキー作りの研究をし、完成したそうです。そして、米麹ウイスキーで、安く量産されたウイスキーは、全米で、大人気となりました。そのため、モルト工場の売り上げが減り、オーナーや職人などの関係者たちが、怒りました。後日、詳しく話しますが、2016年、アメリカ国民が、差別主義者の『ドナルド・トランプ』を大統領に選んだように、現在でも、基本白人は、人種...

昔話(137)-高峰譲吉(6)-麹(4)

1890年、『高峰譲吉』夫妻と2人の息子、そして、麹造りの職人「丹波杜氏」の『藤木幸助』を伴って、渡米しました。その後、『高峰譲吉』の家族は、そのままアメリカに永住する事になりました。ちなみに、『藤木幸助』は、7年間、アメリカで過ごしましたが、養父が病気で他界したので、帰国する事になりました。その後、再渡米しようとしましたが、家族の強い反対があって、断念しました。そして、白木造りの「高峰神社」を建...

昔話(136)-高峰譲吉(5)-麹(3)

『高峰譲吉』の妻『キャロライン』が、明治時代の日本での質素な生活を嫌い、また、『キャロライン』の母が、娘をアメリカに呼び寄せたいと考え、アメリカで特許を申請していた「高峰式元麹改良法」を、熱心にシカゴの「ウイスキー・トラスト社」に売り込んだ結果、アメリカの「ウイスキー・トラスト社」より、採用したいという連絡がありました。しかし、『渋沢栄一』は、「会社が軌道に乗っているのに、途中でやめるという事は、...

昔話(135)-高峰譲吉(4)-麹(2)

『高峰譲吉』は、万博の米国館で、肥料の資源として利用される、鳥の糞などが数千年から数万年堆積して、化石化したリン鉱石を見て興味を抱き、肥料による日本の農業改良を考えるようになり、日本に帰国後、肥料の研究、製造、販売を目的とした会社設立をするため、多くの企業の設立・経営に関わった「日本資本主義の父」と言われている『渋沢栄一』や、三井財閥の実業家『益田孝』らの実業家に対して、「日本の農業の発展のため、...

昔話(134)-高峰譲吉(3)-麹(1)

『高峰譲吉』は、工部大学校(後の東京大学工学部)応用化学科を、首席で卒業しました。そして、1880年から英国グラスゴー大学へ、3年間の留学したそうです。留学中、酒好きだったので、スコッチを大いに飲んで、楽しみましたが、好奇心から、その醸造技術を見学しに行きました。そこで、スコッチの醸造に、使用する大麦を発芽させてから、その酵素で糖化し、発酵させるので、手間もかかり、完成するのに半年以上かかると聞き...

昔話(133)-高峰譲吉(2)

『高峰譲吉』は、将来の進路を決定する際、3歳の頃、経験した「安政の泣き一揆」の事を、思い出しました。1858年、加賀で、冷夏や長雨などの自然災害のため、凶作となりました。そのため、商人による買占めや売り惜しみにより、米の価格が高騰し、庶民の生活は困窮したそうです。7月11日夜、凶作のため米不足で、苦しんでいた約2000人の町民たちが、卯辰山に登り、金沢城に向かって、「腹が減った!」「米くれぇー」と...