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高峰譲吉(14)-アドレナリン(1)

1895年に、『ナポレオン・キブルスキー』によって、動物の副腎から、血圧を上げる効果のある物質を抽出しました。「nadnerczyna」と名付けましたが、これは、「アドレナリン」以外に、その他のカテコールアミンも含まれていました。1900年に、『高峰譲吉』と助手の『上中啓三』は、シカゴにある食肉処理場から、廃棄されるウシの副腎から「アドレナリン」を発見し、1901年に、『上中啓三』が、世界で初めて結晶化に成...

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高峰譲吉(13)-タカヂアスターゼ(5)

1902年、『高峰譲吉』が、アメリカから日本へ一時帰国した時、神戸港大桟橋に接岸した客船ハンブルク号で、横浜へ向う間、『塩原又策』と初めて、直接、話をしました。航海中、『塩原又策』は、「タカヂアスターゼ」の効果に驚いた事、良い商品を任せてもらって、とても感謝している事、販売ルートを拡売するために行った、取り扱う薬局を増やすための飛び込みセールス、色々なプロモーション活動、医家への働きかけなど、話は...

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高峰譲吉(12)-タカヂアスターゼ(4)

1899年に、第1回万国商業大会に、日本代表として出席した『大谷嘉兵衛』は、アメリカ合衆国大統領『ウィリアム・マッキンリー 』と面会し、日本茶への高い関税についての撤廃を陳情し、太平洋の海底に電話線を引くことを提案すると、参加者の万雷の拍手を受け、アメりカの新聞に大きく報じられました。そして、日本のみならず、アメリカでも有名人になった『大谷嘉兵衛』は、『高峰譲吉』を訪ね、「自分の所で修行した『塩原...

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高峰譲吉(11)-タカヂアスターゼ(3)

『塩原又策』は、船舶給水業や貸地貸家業を行う事業家『塩原又市』の子供として、1877年、横浜に生まれました。父『塩原又市』と製茶販売商で、「茶の大谷」として広く知られた『大谷嘉兵衛』は友人関係でした。そして、『塩原又策』は、『大谷嘉兵衛』の「日本製茶会社」で、実務の手ほどきをうけ、 その後、1897年、『大谷嘉兵衛』と父が共同出資し、設立した「横浜絹物会社」で、取締役支配人になりました。 1897年...

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高峰譲吉(10)-タカヂアスターゼ(2)

「パーク・デービス(現 ファイザー)」社は、「タカヂアスターゼ」の事を知りましたが、黄色人種の日本の技術を見下していました。しかし、『高峰譲吉』のつくった「タカヂアスターゼ」の効果を調査した結果、従来の物に比べて約20倍も効果があったので、「パーク・デービス」社の社員たちは、ものすごく驚きました。そして、1897年、デトロイトに本社をおく「パーク・デービス」社から、『高峰譲吉』に、「タカヂアスター...

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高峰譲吉(9)-タカヂアスターゼ(1)

『高峰譲吉』は、命が助かった後、他の入院患者と雑談していると、食後の消化不良で困っている人が、沢山る事を知りました。日本では、昔から、「お餅を大根おろしで食べると消化が良い。大根おろしに医者いらず。」と言われている事が、日本にいた時から、気になっていて、時々、何か理由があるのでは?と色々と考える事がありました。そして、『高峰譲吉』は、病院で療養しながら、落ちついて、ゆっくりとした時間が流れる中、忙...

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高峰譲吉(8)-麹(6)

モルト工場の関係者たちは、銃で武装して、『高峰譲吉』の家に、侵入しました。『高峰譲吉』の家族全員は、危険を察知し、地下室の隠し部屋に、潜んでいました。モルト工場の関係者たちは、家じゅう探し回りましたが、『高峰譲吉』たちを見つけられなかったので、家と研究施設に火を放って、全焼させました。『高峰譲吉』たちは、命からがら逃げだし、自分たちの家が焼けるのを、呆然と見ていました。その後、「ウィスキートラスト...

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高峰譲吉(7)-麹(5)

渡米した後、『高峰譲吉』と『藤木幸助』は、米麹を使ったウイスキー作りの研究をし、完成したそうです。そして、米麹ウイスキーで、安く量産されたウイスキーは、全米で、大人気となりました。そのため、モルト工場の売り上げが減り、オーナーや職人などの関係者たちが、怒りました。後日、詳しく話しますが、2016年、アメリカ国民が、差別主義者の『ドナルド・トランプ』を大統領に選んだように、現在でも、基本白人は、人種...

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高峰譲吉(6)-麹(4)

1890年、『高峰譲吉』夫妻と2人の息子、そして、麹造りの職人「丹波杜氏」の『藤木幸助』を伴って、渡米しました。その後、『高峰譲吉』の家族は、そのままアメリカに永住する事になりました。ちなみに、『藤木幸助』は、7年間、アメリカで過ごしましたが、養父が病気で他界したので、帰国する事になりました。その後、再渡米しようとしましたが、家族の強い反対があって、断念しました。そして、白木造りの「高峰神社」を建...

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高峰譲吉(5)-麹(3)

『高峰譲吉』の妻『キャロライン』が、明治時代の日本での質素な生活を嫌い、また、『キャロライン』の母が、娘をアメリカに呼び寄せたいと考え、アメリカで特許を申請していた「高峰式元麹改良法」を、熱心にシカゴの「ウイスキー・トラスト社」に売り込んだ結果、アメリカの「ウイスキー・トラスト社」より、採用したいという連絡がありました。しかし、『渋沢栄一』は、「会社が軌道に乗っているのに、途中でやめるという事は、...

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高峰譲吉(4)-麹(2)

『高峰譲吉』は、万博の米国館で、肥料の資源として利用される、鳥の糞などが数千年から数万年堆積して、化石化したリン鉱石を見て興味を抱き、肥料による日本の農業改良を考えるようになり、日本に帰国後、肥料の研究、製造、販売を目的とした会社設立をするため、多くの企業の設立・経営に関わった「日本資本主義の父」と言われている『渋沢栄一』や、三井財閥の実業家『益田孝』らの実業家に対して、「日本の農業の発展のため、...

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高峰譲吉(3)-麹(1)

『高峰譲吉』は、工部大学校(後の東京大学工学部)応用化学科を、首席で卒業しました。そして、1880年から英国グラスゴー大学へ、3年間の留学したそうです。留学中、酒好きだったので、スコッチを大いに飲んで、楽しみましたが、好奇心から、その醸造技術を見学しに行きました。そこで、スコッチの醸造に、使用する大麦を発芽させてから、その酵素で糖化し、発酵させるので、手間もかかり、完成するのに半年以上かかると聞き...

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高峰譲吉(2)

『高峰譲吉』は、将来の進路を決定する際、3歳の頃、経験した「安政の泣き一揆」の事を、思い出しました。1858年、加賀で、冷夏や長雨などの自然災害のため、凶作となりました。そのため、商人による買占めや売り惜しみにより、米の価格が高騰し、庶民の生活は困窮したそうです。7月11日夜、凶作のため米不足で、苦しんでいた約2000人の町民たちが、卯辰山に登り、金沢城に向かって、「腹が減った!」「米くれぇー」と...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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