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糖尿病(36)-治療の歴史(2)

2世紀頃のシリアの『アルキゲネス』は、麻薬を勧めました。当時、糖尿病は腎の病気と考えられていたので、アヘンなどの麻薬には、腎の消炎作用があるとされ、20世紀の初頭まで、アメリカの内科学の教科書にも、糖尿病の一治療法として、麻薬のアヘンも推奨されていました。麻薬には、血糖を下げる力はありませんが、そのの作用で食欲が低下し、食べなくなることで、血糖が改善していたと考えられています。西洋人で初めて尿を舐...

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糖尿病(35)-治療の歴史(1)

古代エジプトの糖尿病に関して、「エーベルス(エベルス)・パピルス」に書かれた処方は、「血玉髄」、「赤い穀類」、「キャロブ」、「糸杉」を使用すると書かれてます。「血玉髄」は、微細な石英の結晶が集まってできた鉱物で、碧玉の一種です。「赤い穀類」は、赤味を帯びた小麦粉と言われています。「キャロブ」(和名:イナゴマメ)は、血糖値改善作用や肝機能の改善効果があると言われています。果肉自体にチョコレート風味の...

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糖尿病(34)-バンティング(24)

『バンティング』は、死ぬまで、膵管結紮という偉大な発想こそ、唯一の価値だと思い込んでいました。しかし、当時、新進気鋭で、他人の欠点を鋭く指摘し、激しい辛口の論調で有名だった『フランコン・ロバーツ』は、『バンティング』たちの事を馬鹿にしていたので、「膵管結紮によって、蛋白分解酵素である外分泌物トリプシンから、膵内分泌物を保護するという、『バンティング』の仮説は誤りで、このような反応は、実際には起こり...

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糖尿病(33)-バンティング(23)

2013年、カナダ政府は、インスリン発見に至る研究とその関連資料を、ユネスコ記憶遺産に申請して、登録されました。『バンティング』が、インスリンのアイディアを思いついた家は、今では「Banting House」としてカナダの史跡に指定され、カナダ糖尿病協会の本部としても使われています。家の前には、『バンティング』像が建っています。ちなみに、「Banting House」管理人の『グラント・モルトマン』は、 「糖尿病に対して、...

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糖尿病(32)-バンティング(22)

「ベストサイエンティスト」と呼ばれた『コリップ』は、その後、アルバータ大学教授に復帰し、マギル大学教授、ウエスタン・オンタリオ大学学部長となり、1957年までカナダ医学研究機関の議長を務めたそうです。そして、副甲状腺ホルモン、成長ホルモン、甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモンを単離し、ホルモン研究の権威となりました。しかし、『コリップ』も、インスリンにまつわるエピソードを、語りたがらなかったそ...

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糖尿病(31)-バンティング(21)

コイン投げでインスリン発見者の光栄に浴し、「ラッキーガイ」と呼ばれた『ベスト』は、恩師『マクラウド』と『バンティング』の板挟みに悩み、2人と関係ないイギリスのロンドン大学に留学しました。その後、『マクラウド』の後任として、トロント大学教授となったそうです。すると、『バンティング』卿は、『ベスト』の台頭を警戒し、「昔は、自分の助手だったし、インスリン発見の名誉も与えノーベル賞の賞金も折半し、色々手助...

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糖尿病(30)-バンティング(20)

『バンティング』は、突然のひらめきで栄光の座についいたので、研究者として受けるべき研修や経験がなかったので、何の準備もせず、行き当たりばったりでした。そして、「研究に必要な事は、訓練ではなくアイデアだ!」と言って、無計画に好き放題をしていました。そして、1923年に『バンティング』は、「3年前に婚約し、2年前に結婚したインスリンとは、ここに離婚する。」と宣言しました。そして、全ての細菌を殺す「アン...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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